進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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全員合格...でも
2025.03.20
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今年の私が教えた生徒は全員が第一志望校に合格した。
ああ....よかった。中には中学の進路指導で「第2志望の私立に行くかも知れませんが本当にいいんですね...」と念を押されての受験生もいたから....
受験前に日没寸前の東伊豆道路を生徒を車に乗せて飛ばして私は白浜へ行った。恒例の西川塾神頼みツアーである。この時間も惜しいから「先生、ありがたいとは思いますがその時間も塾で進学のためのご指導をお願いしたいんですが..」とストレートに言ってくる父兄もいるけれど...私はめげない。
生徒たちにはもちろん全力を尽くして受験してほしい。でも...どんなに努力しても何故かわからないがある者は合格しある者は不合格となる。受験前の模試でも学力はほぼ同じ。
私が教えていも五分五分で甲乙つけがたい生徒でも明暗が分かれることがある。3年間同じように教えて同じように伸びて来た塾生だからなおのこと辛いのものがある。
生徒たちにわかってほしいこと....それは人間なら自分の将来未来を見据えて全力で頑張って勉強(努力)するのは当然だけれど結果は異なるという...その厳しいまでの現実だ。
人間の努力は尊い..でもそれはすべてではない。どんなに努力しても完全と完成はない。
自分の努力のさらに元には両親があり..さらにご先祖の長い歴史がある。それを考えられるかどうかは人の一生に大きな差を生じるはず。
人間...自分の運命を自分で決めている気になっているけれど、実はそうじゃない。
同じスタートラインに立つこと。これは近代法が身分や出自に関係なく平等という名の出発点における保証を与えている。しかし、そこからの条件や本人の遺伝的能力までをも同じものにはしてくれない。換言すれば「出発点は可能な限り平等にしようとしているが、到達点の結果は本人次第だ」ということだろうか。
中高の教員は教え子は可愛い....これは事実。私だってそうだ。
そう思い考えても進路指導のおける根拠は自分が見て来た3年間の学業成績、部活動の活躍の2つからの判断である。数学で言うなら「最大公約数」的なものに教員個人の人生観に根ざす指導となるのが限界だろう。
自分の努力...さらには恩師(もはや死語か)の心からの思い。それらを更に超えた何かが生徒たちに働いていることに気づくのはその結果だ。
果たしてそれは何か.....
自分の学力、部活動の活躍....親の躾(しつけ)か...家庭環境?
考えたくもないが......親の経済力?あるいは親の学歴?...なのか。
私にすれば生徒たち。ご父兄にすれば..わが子は悩みながら成長していくけれど、瞬間瞬間の分岐点でどうなるか...は誰にもわからない。
ただ...懸命に生きている親の生きざまを見ている子は「その通りに生きる」であろう。
それはあたかも数学の図形の証明問題に酷似する。
子どもには先祖の精神的気質が受け継がれ、日常的には親の現実の生きざまを実験的証明として見ながら生きる...これは歴史的事実だ。
春のお彼岸の今日...私はお世話になった司祭さまをお招きして母の逝去3周年記念式を教会で..移動して墓地礼拝をお願いした。妹はこのあと嫁ぎ先のお寺に行き法事に行った....これでよいと思う。
人は自分以上の何かを大事にしない限り魂の救いはない。
河津桜を見るたびN村さんを思い出す......