進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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自分と戦争
2025.02.09
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表題は重要だ。まあ、そのままの意味で...今までの人生が自分との闘いだったということでも一つブログが書けそうだ。でも今回は違う。先の大戦は今では英語からの翻訳で太平洋戦争と呼ばれている。これは第二次世界大戦のなかで特に日本とアメリカが太平洋を主戦場として戦ったことによる。
日本の歴史では「大東亜戦争」と呼ばれる。
今の日本人は「しらっと」して80年前までがどんな世界だったか何も知らず考えもしない。子供の成績が上がったか下がったか..会社での待遇が良いか悪いか..自分と家庭を最優先に考える価値観で生きているようだ。他国で何が起きようと大自然災害が起きても「対岸の火事」を見るような第3者的立場をとるのがスマートだと考えているようでもある....国際的な非難をあびても日本にいる限り安全とばかりに無関心である。日本と言う国にいかに守られているかを考えたほうが良いだろう。
そして政治・宗教・歴史の3つについて何も発言しないことこそ教養人のように錯覚して毎日過ごしてはいないだろうか。もちろん、誰も聞かないのにこの3領域について声高に発言していたら右翼か左翼の活動家と思われても仕方ないが、沈黙のうちに読書し学び或いは優れた人との対話のなかに自分なりの「立ち位置」を見つけ定めるのが大人だろう。
欧米の子どもたちは学校で学び..知識と実際の社会でアルバイト(自分の高校から先のために小学生から働いている話はアメリカの実際だ)して身に着けた子供なりの価値観で..
家庭内で父親に...You should~「あなたは~である(する)べきだ」と公然と自分の身に着けた価値観(考え)をぶつける。父親はそれに勝るものがなければ家庭内の権威はなくなり平等にしてメチャクチャなchaosになってしまう。
私が生れたのは終戦後13年たってからである。考えて見れば戦後アメリカを主体とする連合軍が日本を武装解除して占領していた7年間は Occupied Japan(占領下日本)であった。
米軍のGHQ(連合国総司令部)が日本のすべてを民主化の名のもとに有無を言わさず変革した....米軍のMP(軍警察)に指揮されて日本の警察官が国内の治安を維持していたなんて信じられるだろうか?
日本が米軍主体の連合軍...当時の言葉でAdvancing Armyを翻訳して「進駐軍」と呼んだ...進駐軍に占領されている間は日本ではなかった。日本は昭和20年から27年までの7年間は独立国として存在していなかったのだ。
吉田茂首相がサンフランシスコ講和条約をむすぶまで....メチャクチャな時代であった。
私が生れたのは日本が日本に戻ってから間もない6年後の昭和33年だ。感謝。
日本人がすべてをかけ..父や伯父たちが青春の日々をかけて戦って敗戦して僅か13年後だった。はっきり言って子供のころの私の周辺には太平洋戦争(大東亜戦争)から生き残って復員した軍人たちでいっぱいだった。子供心に太平洋戦争の亡霊の中に毎日いるような気がしたことを覚えている。
父は海軍の予科練をでたあと瀬戸内海の港湾を守る海防艦に乗っていて終戦をむかえたのだったが、よく私に「戦争にも行ってないのに生意気を言うな!」と言った。
何も反論できない..その悔しさと言ったらない。お分かりいただけるだろうか。
その後、祖父母はあまり言わなかったが母は東京都の児童疎開で栃木県の塩原へ終戦まで疎開していた。これは東京や横浜のような都会の児童がB-29の空襲で死んでしまったら国の未来はなくなってしまう...と危惧して関東の北部や西部の山間地に小学校の学級単位で移動して現地で教育も行うというプログラムだった。
母は現地での食料事情の厳しさ...空腹で倒れる小学生、それでも課外作業に行く辛さなどを語ったものだ。
私は父や母に十分...いやそれ以上に同情する。わが身のように感じられて涙がにじんだ。
でも...ズルいと一方で思ったことも事実だ。卑怯だ。
何故か?
それは簡単な論理だ.....私は艦載機グラマンの機銃掃射も受けていないし、空腹に耐えかねて山栗の生ゆでを食べて苦しんだこともない。
人が絶対に否定も反論できないことを知りながら、相手を追いつめる手法が如何に罪深いものか私は小学生の身で知った。
「あなたの子どもを戦争に送り込んでも良いのですか?」という言葉がある。
親は自分の命に代えてもわが子を守りたい。自分の幸せを犠牲にしても子供には幸せになってほしい....私だってそうである。どんなにわがままでどうしようもないとわかりつつもわが子は可愛い...自分の今までの苦労や我慢はこの子たちのためにあったのだと考えて悔いはない。
だから....そんな大切なあなたのお子さんが兵士になって人を殺したり..やがて自分が殺されてもいいんですか?
という論理の看板を見るたびに思う。誰だ...こんな当たり前にして、しかも卑怯なことをいうのは!?
繰り返すが...実に卑怯だ!
そういう思想の勢力が「平和」を旗印に今の日本に存在する。
私たちは人の愛や親子の絆につけこむような「何か」を疑問に思い反論できるだけの勉強をしよう。勉強とは学校だけでするものではない。それは「生涯読書」だ。
日々働きながら、たとえどんなに忙しくて学んで行こう。それが日本の歴史であってもなくても構わない。そうした一歩一歩の学びの上に自分の明日が見えてくると信じたい。
身体髪膚 これを父母に受く あえて毀傷せざるは孝の始めなり(孝経より)