進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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東京は壊滅
2025.02.10
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毎年の9月1日は各地で防災訓練が例年行われている。折しも昨年は台風通過が遅く中止とされたようであるが、何故毎年の9月1日に防災訓練をするのか....最近ではわからないが訓練しているとか何でこの日なのか..と疑問にも思わない人が増えて来たから驚く。
本当に知らないのですか?
今からもう102年前になる。1923年だから、邦歴なら大正12年の今日9月1日に東京直下型の歴史的な大地震がおこった...その日だ。
詳しい数字を言ってもピンとこないだろう。一言で言うなら明治維新以来の積み重ねて来た首都東京の繁栄が一瞬にして灰と化した...のであった。
阪神淡路大震災のときには建物崩壊による圧死、東日本大震災では津波による溺死が被災死亡者のほとんどだったがこの101年前の関東大震災においては地震後に発生した大火災による「焼死」がその多くだったことに特徴がある。
何で令和の今になって私がここまで大正時代の大地震にこだわるのか...
それは、当時東京にいた西川のご先祖13人のうち11人が一瞬にして亡くなっているからである。祖母は浅草は本所の生まれだが、震災がおきたときには祖父と結婚していて港区の高輪(品川駅から西の丘の上)に住んでいて難を免れた。そのお陰で私が今ここに存在している。感謝だ...お祖母ちゃんありがとう。
祖母の親兄弟は本所に住んでいたから大地震の直後に被服廠に周囲の住民と共に逃げ込んだ。被服廠とは軍の管轄する広大な敷地を持つ建物でありそこで軍服を生産していた。
震災がおきたのは昼の直前...午前11時58分だったそうである。祖母の話では実はこの日には午前中から余震(予震?)が続き、やっと静かになったから昼食の用意で七輪かまどで火を使いだし「サカナを焼いていた」まさにその瞬間だったそうだ。
当時の民家は木造だったからあっという間に火事....その各所でおきた火事がグングン燃え広がったそうだ。しかもその時には折からの台風が東京の北にあり、台風に向かって吹き込む強風が不幸にも火災を広げた。
浅草の陸軍被服廠も避難民であふれていたが軍は限界まで受け入れていた。ところが信じがたい大きさの「火災旋風」が起きた。
これは大きな火の塊が空中を飛んでいく現象なのだそうである。その火災旋風が被服廠にも..あたかも猛獣のようにとびかかった。頑強に造られた軍の施設も一挙に燃え上がって崩れ落ちた。この時の避難民はほとんど全員が被服廠の崩壊と運命を共にしたのであった。
その数は3万5000人。伊東市の50%が一瞬にして命を失った。
その犠牲者の祖母方のご先祖は祖母から預かった仏壇に保存されている。お会いしたことはないが大切なご先祖の方々である。姓は「山中」で墓所は上野の谷中の大行寺にある。
祖母の父親は当時の警視庁の巡査だった....明治の警察官..詰襟の純白の制服にサーベルをさげた旧士族の奉職先。震災の壊滅した東京の大火災から2日ほどして本所から高輪の祖母の家まで瓦礫の中を歩いてたどり着いたそうである.....「ハナ...」と祖母に問いかける真っ黒に全身焦げたどこの老人かと思ったおじいさんは祖母の父であった。
壊滅した東京都(当時は東京府)のすべての通信施設は破壊されて不能。唯一かろうじて機能できたのは船橋の陸軍通信施設だった。ここから、日本の大震災と東京の壊滅状況は世界に送信された。
受信後...真っ先に駆けつけてくれたのはアメリカ合衆国だった。太平洋にある全艦艇に救助に行くよう大統領の命が下った。カリフォルニアの西岸の全艦艇も日本救援に救援物資を急ぎ積んで出港した。心から感謝だ。
ペリーの日米和親条約からのつきあいだもの....でもこの震災の時の火災状況をデータとして持ち帰ったこと。それを後のB-29による空襲に役立てたことを考えるとアメリカという国に対して微妙な心境にならないだろうか。
これは今の日本人は考えてはならない部分なのかも知れない。
日本とアメリカは...言葉は極めて悪いが「腐れ縁の男と女」なのだ。
江戸時代からお互いが「必要なのだ」が「イヤでたまらない」.....でも今となってはますます顕示する「日米安保」にすべては包含される。お互いが今の歴史の中で絶対に必要な存在になってしまった。
在日米軍は日本において起きる可能性のある...すべての大惨事において考えられうるすべての場合をシュミレーション済みである。
要するにアメリカ本国がどうか...安全でその保障があるか..であり.....周辺国も、もちろん同盟国の日本もその範囲で切り捨てられない。
こういうことを、私の周囲の友人も知人もわがこととして考えないことが最大の問題と思う。
なら...どうして京都・奈良・皇居・聖ルカ病院・中立国の大使公使館はB-29の爆撃針路から外したのか....?
歴史には明暗がある。追及してはならないのか...私は苦しい。
東京は大正時代の関東大震災と昭和20年のB-29による帝都大空襲により2回壊滅した
東京が壊滅したのは80年前の1カ月後の3月10日(1945年昭和20年)だった。