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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

ホンコンと日本

2024.02.16

かつてのHong Kongと今の日本は似ている。

ホンコンと言うけれど彼らの言葉なら香港のはずだ。ところが ' Hong Kong 'がまかり通ることを誰も考えない。

ここで歴史は大事だと改めて考えてしまう。

まだ今の大陸にある中国が「清」と呼ばれていた時代にイギリスとの間に戦争があった。
麻薬のアヘンを清に売りつけていたイギリスとの間に起った戦争だった。

あのイギリスが?.....人の命や国の荒廃を考えず....そんなことをしていたのか?
そう。ヤクの密売ではなく公然とした貿易で荒稼ぎしていたのだ。

信じられないが事実は事実だ。是非にもインターネットで調べて頂きたい。

大英帝国は決してアジア・アフリカで慈善など行っていなかった。

何が' Charity begins at home. 'だ。英国人は自分たちの家庭だけが ' home 'なのか。

ことの発端はどうあれ....負けるはずのない戦争にイギリスは勝利。どの戦争でも戦後に戦勝国の側に圧倒的に有利な条約が結ばれるのは歴史の常識だ。

その結果の南京条約で「香港はイギリスに割譲...18年後には対岸の九龍をあわせて99年間」イギリス領となった。

ちなみに友人の数少ない中国人の友人によれば北京語(Chinese Mandarin)では「99」と言う数字は「永遠」という意味が有るそうだ。

これが1842年。

日本で考えたなら幕末の少し前の時間だったろうか.....1868年が明治元年だから。

江戸幕府は...続く明治新政府も日本の立ち位置をどうしたらいいのかと死にもの狂いで考えたに違いない。

南京条約以後のHong Kongはどうだったろうか?

イギリス統治下に入ると、聞いたこともない異国の法律が行われて、外国軍であるイギリス軍が駐留する...でも住民は相変わることない大陸の中国人だ。

インドも滅ぼし英国植民地にしていたイギリスはアジア・アフリカの植民地経営の手腕はフランスの上だ。その統治は現地の人間を官吏・公務員にすることから始まる。採用に当たっては統治のしやすさと管理のための意思伝達を容易ならしむるため、英語の能力を最優先で必要な基準とした。

私はずいぶん昔、まだ日本がバブル華やかなりしころの時代を知っている。

大学を出て入社したての若造がお台場の高級ホテルのディナーを彼女と2人分平気で予約していた....そんな時代だ。

当時は私も持っている法律資格の全部をつぎ込んで....友人の不動産会社の「法律顧問」だったんだから驚くしかない。

会社の福利厚生の慰安旅行で当時のHong Kongへ行った。返還前だったから英国植民地
' Britsh Crown Colony Hong Kong 'と言ったっけ。.....これはいまだに個人的にうまく翻訳できないが。

そこでは私が不完全ながらも会社側の通訳(日本語⇔英語)の役割を、現地のMr.Jさん...Hong Kong Chineseでかつての日本留学生が(現地語の広東語⇔日本語)の通訳で弥次喜多道中のような失敗と笑いの1週間を過ごしたのであった。

7日間を大陸のHong Kong...ホンコンで過ごすうちに、同年代だったからかも知れないがMr.Jと私は不思議な連帯感というか....運命共同体のような感覚を共有するようになってお互い驚いた。

それは「Hong Kongと日本は似ている」という歴史上...不思議にも一致する点についてであったろう。

Hong Kongはアヘン戦争の結果、結ばれた南京条約で150年間のイギリス統治による植民地となった。歴史上...勝者の言語が最優先となり、敗者の言語と歴史は踏みにじられ忘れられていく。そのかわり条約にしたがって宗主国のイギリスの軍隊が駐留して、その軍事力によりしばらくの平和と自由が保たれていた。

Borrowed time....borrowed space.(借り物の時間と空間)とは当時のHong Kong Chineseの言葉である。

日本ではどうだったか........

あの大平洋戦争に敗戦したあと、上陸進駐して来た連合軍(主としてアメリカ軍)実際にはGHQ(連合軍総司令部)の意のままに新たな国造りが行われた。新憲法ですら英文で書かれたものの翻訳だ....

戦勝国の軍隊が戦後も駐留して平和(?)が維持される。戦勝国の思想や文化がどっと流れ込んできてそれまでの自国の文化・歴史はないに等しいくらい圧縮され...否定すらされて来た。

Hong Kongは中国とイギリスのmixed cultureでexoticな独特な美しい文化と風光明媚な魅力を生み出したが、日本はどうだろう.....

他国の軍事力と経済力に取り込まれるくらい恐ろしいことはない。

条約が切れて無効になった時、自国だけの軍事力・経済力ではとても今のような安泰な生活は望めない。いや...歴史上 永遠に有効だった条約など存在しない。

Borrowed time  borrowed space であることは日本もかつてのHong Kongも同じ。

自分の国家...或いは自分が信じる国の形がはっきりしないとどうなるか?

マフィアではないが「信じられるのは血のつながり」だけに。

かつてのHong Kongでは貿易が盛んだった。世界中の貿易の中継点として中継貿易によって英国の法律が行われる自由貿易港として栄えていた。親兄弟+親戚の血のつながりを重視して一族での繁栄が人生の目標だった。

経済において潤うこと。

それ自体は悪いことではない。ただ、そこに一切の哲学も思想もなくなる状態がコワい。
魂の平安ではなく、肉体この世にある者の快楽と快感の充足が目的になりはしないか...

当時のHong Kongには悲しいまでの人間の不安とあきらめを感じた。南京条約の果てにやがて共産中国に戻ることの不安だった。

今の日本も彼らと同じような不安を皆が心から払拭しきれずに日々を過ごしているのではあるまいか.....

歴史上の真実を知ることを恐れて..あえて歴史を学ばないのではないかとさえ思えてならない。

今の日本の平和と安定さらに繁栄は、決して今を生きる日本人の努力のみではなかったことを知る必要があると私は思う。

江戸時代末期からの欧米のアジア侵略と日清・日露戦争...太平洋戦争の歴史の結果おこった新たな国際情勢の間に生じた「借り物の平和の時代」を今の日本人は生きている。

この意味においてかつてのHong Kongと今の日本は同じ時空を生きている。

人間が繁栄を享受し自国のみ平和に生きる時、歴史はその国民に覚醒を与えるために大いなる自然災害や予期もしなかった大戦争を用意するという。

ヘーゲルはその歴史は意思をもつ世界意思がつくると言った。

自分と家族だけ...の幸福を考える。権利を追及し義務は免れる。
これは罪なのか........それでよい。それ以外は考えなくてよいと日本国憲法は言う。

では国とはなにか?

私には永遠の課題だ。





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