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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

Okinawa...

2024.02.08

英語の沖縄を言うaccentは....3番目の母音にある。だから「オキナワ」は「沖縄」ではない。英語のOkinawaの3番目の'a'を強く読む' オキナワ'になってしまう。

本土に住む私たちには「沖縄」と言うなら「亜熱帯」「サンゴ礁の美しい」「首都は那覇」....昔の戦争でいろいろあったらしい。「ひめゆりの塔」...って何だっけ?くらいだろうか。あとは知らない。

知ろうと言う積極的な意識はないなぁ....あまり関係ないし。

本当に申し訳ない。

でも....本土に住む人間は何をどうごまかしたところで、そのくらいの理解しかない。

これを言う私も日本本土に生まれ育った人間だ。

沖縄の言葉で言うなら私は「ナイチャー」と呼ばれる。年配の沖縄の人は「ヤマトンチュー」と言う。

大戦中に戦艦大和(やまと)があったけれど....

息子に怒られるだろうが、わが家ではその折に...様々な経緯と条件が重なった結果、信じられない条件が重なって長男は沖縄の大学に進学することとなった。

沖縄..オキナワ..琉球...大戦の末期の昭和20年に旧海軍の航空隊だった伯父が九州の最南端にある「鹿屋航空隊」から離陸する航空特攻の目標だったところだ。

こんなことはもう誰も考えないだろうが、1972(昭和で言うと47)年まで沖縄はアメリカ領だった。日本に返還されるまでの1945~1972年の間の27年間は沖縄は琉球でも日本でもなくアメリカ本土なみの扱いを受けていた「アメリカ領 OKINAWA」だったのだ。

クルマは右側通行....使用貨幣はdollar(ドル)だ。当時の沖縄に行くには..passport(パスポート)が必要だった。

これは..日本~アメリカ...の往復ということと考えるとようやく理解できる。

息子が沖縄の大学に進学したのは、もう「そのあと」の遥か先だった。

.............

でも。

伊豆からの沖縄だと往復は飛行機しかない。九州の鹿児島までクルマ....沖縄までフェリーというルートも考えらえなくもないが「時間・手間」を考えたらまずムリだ。

わが子の下宿の選定にしても東京や横浜ではなかった...まあ、半分は外国と考えたほうが良いだろう。

住居・下宿に関してはまだ3月だったから冬の暖房を考えた....が不要だった。

沖縄では「コタツ」とか「ファンヒーター」の暖房は考えない。

寒さに関しては本土(内地)から行く人間の心配はまったく必要ない。沖縄は亜熱帯なんだから....Christmasに根性のあるセミがまだ鳴いてる...これが現実。

北海道では「梅と桜」が同時に咲く。5月の連休明けまで「いつ雪が降るか?」
灯油容器は「青」。本州以南は「赤」のはず。

同じく....

内地(日本本土)で当たり前のことのすべてがOKINAWA+HOKKAIDOでは通用しないことだらけだ。それがexotic(エキゾチック)な魅力を生むのかも知れないが、その日本本土の人間が興味をいだく「差異」...こそはその地に生きる人々にとっては....ごく日常のroutineであろうと考えるのである。

沖縄は日本と言うには....あまりに異国(外国)的である。
でも異国(外国)的....と言うにはあまりに日本的だ。

ここでは政治・戦略的・外交的な意見や思いは排除しても考えなければならないのだろうと私は考える。

その延長線上にあるのが....いまの沖縄なのだ。









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