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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

遠い夏の日

2023.08.04

夏が来ると思い出す。それは半世紀以上も前の埼玉県に点在していた多くの「沼」や「池」そして数キロ先まで広がる水田をつなぐ用水路だ。

私事で恐縮だが、私が小学校の3年生の時に妹が生まれた。母が入院していたのは埼玉県大宮の日赤病院だった。母がいなくなると言うことは小学生の自分にとってはある意味において恐怖だった....それは掃除・洗濯・炊事をまったくやったことがない父と10日間暮すことを意味したからだ。妹が生まれたのはちょうど暑い盛りの7月下旬。

学校は夏休み中だったからまだよかったのかもしれない。

父は良くも悪しくも「戦前の価値観」の人間だったから「男子厨房に入らず」...要するに男子たるもの台所に入って食事を作るなどもってのほか.....という古き時代の人間だ。

それが.....やむを得ず+諸般の事情によって厨房(kitchen)に入らざるを得なくなったらどうなるか。ご想像いただきたい....

父は朝だけご飯を炊いた。当時はまだ炊いてから保温できる機能の電子ジャーはなかった。そして息子と2人としては多すぎるくらいの「味噌汁」を作ってしまうのだ。

ここからが「コワい」.....

昼は....朝のご飯の残りを味噌汁に入れ...「栄養だゾ!」と言ってタマゴを割ってクツクツと煮こんだ味噌おじやに入れる。

感謝しないと殴られる。「アリガトウゴザイマス!」と大声で叫ぶ...「そうだろう...」と父。

夜もこの「鍋のオジヤ」を火入れして加熱するだけ。モンクがあるなら食うな!だ。
母も入院していて心配だったろうが...どうしようもない。新鮮な野菜サラダなし..肉や魚もない。耐えがたきを耐えた10日間だった。

毎日毎日...親父と私は大宮の日赤まで母を見舞いに行った。それは父の名誉にかけて言うが事実だ。ただ....ハッキリ覚えているが産科病棟にいた母のお見舞いは3分...そのあとの大宮周辺での湖沼の釣りは3時間だった。

当時の大宮・川越市はまだ沼や池が残る....今で言ったらジブリの世界だった。

言葉で表すのは本当に難しいが...あの頃 沼や池は生命力のあふれる神秘のパラダイスだった。沼に歩いて行くと大きなヒキガエルが足音に驚いて水中に飛び込む...岸辺から沼の中を見ながら進むと信じられないくらいの巨大なアメリカザリガニが気配を感じて逃げていく。伊勢エビでもザリガニでも逃げ方は同じでキホン「後進一杯!」全速力で一直線。
考えて見れば、これは実に理にかなった逃げ方だ。危険な方向を見ながら逃げるので回避行動がとりやすくなる。

そしてこの池や沼は周囲の水が流れ込んでいるのではなく、僅か1~2mの水深であってもその最深部から「湧水」のある水質の透明な水源地であったのだから凄い。そのまま飲料水にできるくらい良質の水で、一帯の農家はいまだに庭に井戸を持っていた。

今でも覚えているが、湧水のある沼の底には渓流にしかいないとされる「シマドジョウ」がいた。何度も私は見たから言う....あれは間違いなくシマドジョウだった。

それから10年後だったか。祖父の葬儀に久しぶりに埼玉県の川越に行った。わずかな時間に自転車を借りて懐かしい池・沼・用水路の水田地帯へ急いだ...まるでずっと昔にわかれたままの家族に会うような気持ちだ。

....すべてはなくなっていた。

池も沼も跡形もなく埋め立てられていた。私が知らない瀟洒な住宅地になっていた。ただ、心残りのように農家の周囲にだけ水田があった。きっと、自分の家族の必要な分だけの稲作なのだろう。

思い出は「想い出」になった。

トシローさんの黒浜沼の投稿写真2
 
 岸のヨシが密生した水中の根本には多くの水生昆虫がいた。どんなに蚊に刺されてもめげずにフナの入れ食いに我を忘れたっけ.......すべては懐かしい記憶の彼方である。

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