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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

高度3000m

2023.07.08

「高度3000mで....」この言葉は2人の伯父から聞いた言葉だ。

何故か西川の家系は昔から海と空にあこがれるらしい。一番上の長兄の伯父だけは慶応経済学部卒のインテリだったが「山とスキー」を昭和初期から極めていた。

話が逸れて行きそうなので「空」に戻りたい....

3番目の伯父は予科練卒の海軍航空隊だった。茨城県の霞ケ浦の土浦にあった海軍の「飛行予科練習生」略して予科練は短期集中教育で海軍航空隊の飛行兵を育て上げる。

伯父は予科練の凄まじい集中..ある意味「詰込み教育」の試練に耐えて卒業。実用機慣熟訓練地は三重県の鈴鹿航空隊だった。伯父の日々離着陸していた滑走路は今日「鈴鹿サーキット」になっているからご存じの方もいるだろう。

伯父の配属が通信・偵察だったから乗機は97式艦攻だった...最新の天山艦攻も順次飛んで来たそうである。

高度3000....これは訓練でも実機でも当時の航空隊で離陸してからめざす「一応の目標高度」であった。海軍の伯父の言葉では「一番集中できる高度」だったそうだ。飛行機の高度には当時のプロペラ機でも今のジェット機でも2つの高度を考える。

燃費の一番よい「巡航高度」とエンジン性能の限界である「上昇限度高度」だ。

2番目の伯父は調布飛行場の民間航空パイロットだったが、伯父によると「高度を上げていくと見えるものが変わる。3000mぐらいが一番肉眼で見る時に地上もギリギリの360度の視界も良く見えるんだ...」ということだった。

80年前の軍用機も「高度3000」を合言葉に様々な作戦を展開していった。

いま手元に調布のセスナ機パイロットだった伯父がくれた「高度3000mからの写真」がある。伯父は調布・清水・大島の3飛行場を飛んでいた。写真は富士山の南側で海上を飛んでいるから「清水飛行場」に着陸する少し前の撮影だと思う。

パイロットだった2人の伯父....アルピニストだった長兄の伯父も既になく...私は厳しい現実を生きている。

ああ...叫んでみたい....「高度3000!」

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