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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

英語で失うもの....

2023.07.01

子供の幸せ....そのためにはどんな犠牲も努力も親は惜しまないだろう。
私も2人の男の子を育てたからその気持ちは痛いほどわかる。

今の世は英語がわかる方が有利?に思えるのはある意味において事実だ。それにはいろいろある....学校で英語ができると教師に一目置かれるし、入試でも有利だ。

とにかく英語で外国人と楽しく話せるんだからカッコイイ....じゃないか。

そう。それもまた事実だ。

しかしすべてのことに表裏があるように英語の学習に限っても良いことばかりではない。

これは非常に言いにくいが、子供の教育...殊に英語教育ほど親の価値観が問われる場面はないと思う。国際化が進む日本において英語の世界共通語としての位置はこれまでにないくらい高くなっている。これは紛れもない事実であって誰も否定できない。

問題はそのために...と言うかそれに対応するために英語教育をどうするか、喫緊の問題としたら「わが子にどう英語を教えるか?」になるだろう。

これは実例だが、3歳までに聞いて育った言語の世界がその人間の第一言語になる...と言う言語学の学説を信じて、保育園に通わせるまで赤ん坊のころからずっとベッドでDisneyのDVDを「見せ・聞かせ」ていた母親がいた。

その子はやがて中学・高校となってその効果があったろうか....

むしろ逆だった。

精神的に非常に不安定になり心療内科(精神科)に通うようになった。今では親を恨んでいる。

幼児とは「親以外にこの世に頼るべき何ものもない」存在を言う。その大切な人格形成期に語り掛けてくるのがDVDの映像やCDからの音では「人」は育たない。それは自分の状況に関係なく入って来る情報と信号だからだ。

こちらのことを見てくれず考えても来れない一方通行の情報が人間を優秀に育てるだろうか?

言葉のわからない赤ちゃんでも自分の両親を見分ける。そして両親の毎日の語りかけてくれる一言一言に愛情を感じて安心するのである。

全てはこの上に成り立っていると言ってよい。

親の愛情を確信できずに育ったらどんな子供になるか....成人してどんな人間になるか?
その実例の集大成が今の世なのではないか?

英語を学ぶ.....英語を勉強する。

大いによろしい。自分の限界までやって欲しい。

でも....倒れるほど勉強する毎日の中で気づく人は気づくことがある。

それは死ぬほど英語を勉強しても完ぺきに近く身に着けても..自分は「日本人」だと言う事実である。

日本人の両親のもとに生まれ、日本人として育ち、日本の教育を受けた日本人なのだ。
自分はまったく...それと意識しなくとも「日本の歴史」をその身に負って生まれてくるのが日本人なのだ。

あなたがどんなに否定したくても...「自分は日本人である前に人間だ...なんて言ったところで意味がない。外国人からはアナタは間違いなく「日本人」と認識されている。

日本人としてのidentityを持てないと....英語を話す人間・英語で書かれた文書・英語の音声そのものが日本人・日本語より優れたものに見えてしまうようになる。

英語圏の人間の眼で日本を見る....彼らの価値観で日本を日本人を考えるようになる危険性が大いにあるのだ。言いたくないが彼らと一緒になって日本人をバカにし見下している英語の上手な日本人もいるのだ。

終戦後の昭和20~30年代にこういうヘンな日本人がいたらしいが、今も根強く生き残って息を吹き返して国籍不明な力を強めているからコワい....キリスト教のグノーシスか?

まあ、教育の最前線である塾の眼から見れば「英語だけ勉強する」ことの危険性を考えてほしいというところかと思う。

好きで得意な教科しか勉強しない...それが「英語」だったなら。

高校なら公立高校は入試の受験科目が「国語・数学・英語・理科・社会」の5教科であるし、英語だけバツグンでも他教科の力が不足すれば志望校にはまず行けない。1ランクも2ランクも受験校を下げないと進学は難しくなるだろう。

英語はできて当たり前と考えて他教科に力を注いでほしい。

今の日本ではどんなに英語ができても、nativeなみでも通訳にも英語教員にもなれない。

英語はつまるところ...communication のための toolと考えるべきだ。toolは道具・手段の意味である。

道具や手段がいつのまにか目的となってしまったら、或いはすべてを推し量る価値基準になってしまったら....どうするのか。

みなさんが考えるよりずっと「言語が人に及ぼす影響」は大きい。

人が難しいことを考えるときにアタマの中で使っている言語がその人の「第1言語」であるとは言語学で解説される。何か国語も話せると言っても、やはりその人の第1言語は存在する。

私が危惧するのは日本人であるのに「英語でまず考える」ようになったら..という危険性である。いや...そうなってしまった人間(日本人)を何人も私は知っている。

言っても仕方ないが「英語で考える人間」には特徴がある。

それはまず「短気である」それから「話がまず結論を言う」ことだろうか。

西欧諸国の中でもフランス人は英語の影響を国家ぐるみで警戒している。英語がその国際的な「power」を背景に美しい純粋なラテン語のフランス語に遠慮なく侵入してくることを全力をあげて阻止しようとしている。

日本には日本人には理解が難しいが「価値ある自国語」を守ろうとする文化的にして言語学的なbarrierをフランスは国として意識しているのである。

総括...この言葉を見るたびに50年も前の左翼(浅間山荘事件)を想起するが。

明治の古い言葉なら....それは和魂洋才だ。

命を賭して英語を勉強すべし。
しかし常に自分は日本人と思うべし。








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