進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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お雇い外国人
2023.05.30
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外国人とは.....いまさら考えると何とも言えない不思議な気持ちになる。
自分の国の国籍を持つ人間を内国人・自国民と考えればその対極にあるのが外国人だ。
ただ、日本の場合と他の国の場合では「外国人」という言葉から感じる何かがまったく違うのではないか.....これは自分が若いころからかなり深くしかも具体的に感じて来たことだった。
日本の場合は四方を大洋に囲まれているから「外国へ行く」にも「外国から来る」にも命がけで気の遠くなるような海を渡らなければならなかったことが地理的に否定できない事実として今も存在する。
これが日本人の心の根底に昔からあったから「外国のもの」は特殊であり、海を越えて来たのだから「舶来の....(この言葉も今の日本人には通じない死語になりつつある)」ものはそれだけで価値があると考えて来たことがまずある。これが江戸時代まで。
明治になると眩暈(めまい)がするくらいの価値観の逆転があった。開国→文明開化→殖産興業→富国強兵....の流れの中で過去のモノを否定し「西洋...特に知識と技術」を取り入れることが日本のためであり、そのために国民は己がすべてをそのために捧げることこそ最も価値ある生き方であるとされた。
その時代において技術と知識を日本にもたらしたのは外国人たる「西洋人」であった。
新日本を作ろうとする明治政府は新しい日本を作るには西洋の進んだ技術・知識を取り入れるなら各界・各分野の第一級のものを望んだのだった。
だから、医学ではプロイセン(ドイツ)、国内法についてはイギリス・ドイツ・フランス。音楽・絵画はイタリア、登山もドイツ....とヨーロッパ各国の第一級のものを日本に取り入れようとした。
その最も理解しやすい具体例が「お雇い外国人」である。
明治政府は最先端の技術と知識を日本に根付かせようと、それこそ破格の報酬を約束してヨーロッパ各国とアメリカから西洋人の技術者や日本の大学で教鞭をとる教員を雇用した。今でも各分野で教科書にその功績が称えられ....ある意味において本国より日本でその名を知られた教員や技術者が多い。
北海道の札幌農学校の' Boys,...be ambitious 'で有名なクラーク博士。大森の貝塚を発見したモース....信じられないが本国では無名だったり、帰国してから、その多くは記憶されるような功績を残していない。
私は、敢えて言うがそのような結果だけ.....「多くの功績を残したか否か...」で人物をはかるものの見方には賛成できない。
お雇い外国人の多くは青春の純粋さの極致を日本と言う未開の新興国に具体化しようと全力を尽くしたのではないか...
自分一個の存在とわずかながらではあっても尽力がどれだけ形づくられようとする日本の一部になれるのか....と考えつつ異国の地で努力したのか。
そう感情を移入して考えてしまう。
お雇い外国人....彼らはみな立派だった。
私にも西洋人の2人の恩師がいる。これをお読みの皆さんから見れば私も歴史の彼方の存在かもしれない.....