進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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釣りと日本人
2023.05.15
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子供のころ...そう小学校1年生じゃない...幼稚園の年長組から親父に釣りを仕込まれた。よく聞かされた言葉に次のようなものがある。
いいか、一喜(私の名)よく聞けよ。釣りに大事なことが3つある。
「1 場所 2 エサ 3 仕掛け」だゾ!
時は流れてもこれは本当だから驚く。3つのうちどれか一つがかけても不完全でもサカナは釣れないのだ。
だいたい釣りと言うのは西洋人の狩猟と似ているところがある。本来の人間に備わった生きるための本能である「食物を得る」作業と考えられる。もちろん西洋人(古い表現)も釣りをするが日本のそれとは精神において違いがあるようだ。
日本も新石器時代に続く縄文時代くらいまでは盛んに狩猟をしていた。しかし地殻変動によって大陸と切り離された日本列島になってからは大きな古代のシカや豊富だったイノシシは減って行った。
縄文時代になると漁業は人々の日々のタンパク源を得るために絶対必要になってくる。おまけに、このころの海は関東平野の奥までだったから比較的に浅い海が秩父や日光の麓まで存在していたことになる。
近海でカツオやマグロが獲れたらしいことは考古学的発掘によって立証されている。丸木をくりぬいて作った簡素な漁船で沖に出て、シカやイノシシの骨で作った釣り鈎を使う釣りは大変だったろうな...とその苦労を思う。
でも気候変動で氷河期が終り、マンモスゾウも大型のヘラジカもいなくなれば海や川にサカナを求めるしかなかったのだから。
Necessity is the mother of invention.(必要は発明の母である)と言うが本当だ。そこまで生死をかけるほど追い込まれた人間にだけわかる真理だと思う。
限られた条件のなかで「どうすればサカナが獲れるか?」と日本人は考え続けて来た。
その結果が今の日本の漁業であり個人の単位では「釣り」になる。
工夫を重ねた日本の漁業....個人レベルで釣果を上げるために勉強...field-testを重ね釣り具と釣法を研究しつくした日本の釣りは世界最高水準と思う。
釣りのhardの部分が整った今、サカナをどう釣るか....は個人個人の釣り人にゆだねられている。ただただ大物を釣ればいいのか?人より大漁ならいいのか?
釣りに何を見出すか...案外これが大事ではないだろうか。
自分なりに自分の釣りにかける精神性を追求していないと「釣れたか?大漁だったか?」だけを求める釣りになってしまう。
写真はいかにも美しい....夜明けの駿河湾で来た第一投で釣れたアジ。
自然の美...喜び。
