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何で「釣り」なの?

2023.02.14

不謹慎の誹りを受けるかも知れないが、無教会キリスト教の内村鑑三の有名な著書に「予は如何にして基督教徒となりにしか」と言う本がある。氏は英語にも堪能で英語で同名の' How I became a Christian'を執筆している。

では自分は「いかにして釣り人となったか?」

以下.....

子供はある時まで親の引いたレールをたどって生きる。
これはどうしようもない生物界の最もキホンであることは誰も否定できない。

だから親の生き方とかものの考え方が子供に反映されるのはよくも悪くも当然である。
私が短気なのも人を信じやすいのも父譲りなのだろう...

終戦後海軍の水上艦艇から復員した父は海と釣りが好きだった。戦後まだ日本が豊かでなかった昭和20年代は生きるのに必死だったようだ。信じられないけれど昭和27年までは
Occupied Japanで「占領下の日本」だった。米国米軍の統治下にある日本...父も伯父たちもどれほど複雑な心境だったろうか。

そして昭和30年代に入り父は母と結婚し私が生れた。

おそらく父にとって...すべてが実地を伴う試験的作業だったろうと思う。GHQが本国でできなかったことを日本で試したように、やってみたかったんではないか?そして初めての子に父が教えたのが「釣り」だったのだ。

父は宮城県の奥松島の宮戸島に生まれたから幼い頃から「海」に親しんだ毎日だったろう。祖父は牡蠣と海苔を養殖していた。近海漁業で金華山の沖まで漁をしていたそうである。実家の前には干拓した土地に水田を作り家族の必要分のコメを収穫していた。中学地理の教科書にある「半農半漁」そのものだと思った。さらに先祖は仙台の伊達藩に「鉄砲指南役」で仕えていたがこの話はまた別の機会にしよう。

ここから東京へ出た父が幼い私に伝えようとしたのは「海・サカナ・釣り」だった。

特訓は私が小学校1年入学の年から始まった。

当時住んでいた埼玉県の内陸部のフナもあるけど、印象が強烈なのが「銚子のハゼ」だ。

当時の釣り情報は現地の釣具屋からのリポートがすべてだった。父は千葉県利根川の河口にある「銚子」を何故かいつも気にしていた。母方の祖父が外房の御宿出身だったこともあるのだろう。銚子でカレイが入れ食い...なんて聞くともう居ても立っても居られない。

だから小1の私を連れて銚子へハゼ釣りに通ったものだ。釣りは淡水なら「フナ釣りに始まってフナに終わる」と言う。海なら「ハゼ釣りに始まってハゼに終わる」...と父は考えて私に釣りを教えたのかもしれない。

「良い釣り」とことばがあるけれど、釣りの神髄は「多くたくさん釣ること」でも「より大物を釣ること」でもない。

自然と一体となって+自分の思うように....釣りができたか。
オマエは今日の釣りに満足できたか?

それが父の言葉だった。

親父の残した「釣り」を自分はまだまだ極めてなどいない。
あの時代は粗末な釣り具...魚探もPEも電動リールもないなかで、海も川にもサカナだけは豊富に泳いでいた。懐かしい彼方の思い出は「想ひ出」となり今の自分を作っている。











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