進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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心をすてた繁栄
2022.12.08
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Hawaiiへ行くと思う.....「アリゾナ記念館には行かないゾ!」
何も知らず。また知ろうともしない日本人観光客が多くオアフ島を訪れる。2000人の生存者を乗せたまま撃沈された旧アメリカ海軍の戦艦アリゾナ。
アリゾナはそのまま海底に固定され記念館になっている。ポンツーン(浮き桟橋)がありフェリーで渡ることができる。
英文で日本軍の奇襲で沈んだ経緯が掲示板に書いてあるが日本人観光客の誰も注意にとめることない。その前でVサインをして楽しそうに笑いながら写真を撮っている。
アメリカ人たちの無表情な視線が痛いのは私だけか....ああ、やめてくれ!
今を去ること81年前、昭和16年(1941年)の12月8日...現地時間では7日の早朝。
だった。日本の海軍機動部隊がHawaii Pearl Harbor(真珠湾)を奇襲攻撃した。
目標はHawaiiを基地とするアメリカ太平洋艦隊を無力化すること。そして日本が優位のうちに早期講和を結ぶことだった。まともには勝てるはずのない戦争だったから。
当時の国際情勢を見ると日本の江戸時代に遡り、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの欧米各国が軍事力に物を言わせてアジア・アフリカに進出、多く国力の弱い平和な国々を次々と植民地にして行った...いや誰が何と言おうとこれは歴史上の事実だ。
明治以来の日本はそんななかにあって死にもの狂いの努力により欧米列強に追いつこうとしていた。早く国力をつけなければアジア周辺の国々のように日本もまた植民地とされ、国民は強国の利益のために働く道具となってしまう....そうならないための努力を日本は目標として掲げ江戸時代までの遅れを取り戻そうと必死だった。
伸びていく日本.....何とか抑え込もうとするアメリカ。
じっと歴史を調べ学んで行くと「日本とアメリカの衝突」は時間の問題だったと言える。
勿論、戦争など当時においてもないほうが良かったはずだ。アメリカ人の中には和平論者あり、明治時代からの日本を知る知日派の学者またキリスト教各派の宣教師も多かった。
日本もギリギリまでアメリカとの関係を「外交交渉」によって打開できないかと方策を探り、双方が納得できる修正案を出し続けた。
日本が国内の矛盾を解決しよう、そして欧米の植民地化を弱体化させる目的で進出した「大陸(現在の中国)とベトナムインドシナからの撤退」を強く要求するアメリカとは最後まで対立して交渉妥結とはならなかった。
そんな中で期限を切って外交交渉を打ち切り、一挙に軍事力により結論を出そうとした。
それが81年前の今日だった。
戦後50年を過ぎたころから当時の外交文書が研究され、「アメリカは事前にハワイが攻撃されることをわかっいた」「初めから日本側とは外交で妥協しない方針だった」「あえて日本が絶対に納得するはずのない要求(...それがハルノート)を突きつけた」というような事実が明るみに出されてきた。
全てが驚くべきことだ。当時の戦争体験者は民間人も前線で戦った将兵も90歳をこえ証言も体験も聞けなくなってきている。
戦争に真実などない。国家権力の最終的な発動が戦争である。そこに良い・悪いもない。
個人的な良心も悩みも戦争には無力だ...「いや対抗できたはず」というのは戦後に批判できる安全な立場の今の人間の意見に過ぎない。
そして戦争によって歴史は塗り替えられる。
中国の歴代王朝を見るとよい。勝者はそれまでの歴史を自分に有利に書き換える。
そして負けた側の人間は人民だろうと国民だろうと「生き残るためにはそれを受け入れる」しかない。
日本の今を考えてみると良い。
かつての敵国は友好国となり最大の同盟国となった。今を生きるために勝者の価値観と歴史観の中で生きているが、日本人にはその実感さえないのではあるまいか。勝者の教育政策は大いにその成果が実ったと言えるだろう。
そのあたりをもう一度考えてみることも無駄ではないだろう。「青い鳥」ではないが意外にも人が生きるのに必要な宝は過去に埋もれているかも知れない。いや、目の前にあっても気が付かないだけという場合もある。気が付かない理由に考えが及ばない。
「日本史・東洋史」という科目も戦後復活した。歴史を自分なりに学んでみれば新たなものの見方を見つけられるだろう。
どんなに豊富な物資を得たところで、最新の機器を身に着けても人は心からの満足することはない。経済が豊かになっても、より豊かにならなければ..と人の思いには果てがない。
感謝を忘れた人は永遠に不幸のまま終わる......
「心をすてた繁栄」とはこれではないのか。魚雷と航空爆弾により沈没する戦艦アリゾナ
海底には撃沈されたアリゾナの艦体が見える