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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

そして利根川...

2022.12.13

祖父の言う「ひとまたぎ」できる源流ってどこだろう。

地図を拡大してドンドン上流にさかのぼってみた。



それは関東地方の北東のはずれ....群馬県と新潟県にまたがる大水上山(おおみなかみやま)という山があり、その雪渓から流れる雪解けの谷川だった。祖父はこんなところま来たのか。ここから流れ出して、河口は銚子で太平洋にそそぐ。

私なりの子供時代から体験した利根川での強烈な思い出を話そうと思う。

祖父は千葉県の外房は御宿(おんじゅく)の出身だったから自然が好きで、父と私が釣りに行くとたびたび一緒に出掛けたものだ。

あるとき、夏休みの終わりごろだった。父が「オイ、一喜。ハゼが一束(いっそく:100匹)釣れるそうだから銚子まで行くぞ!」と興奮して言った。

当時私がまだ小学校の3年のころに東京から銚子へ行くのは、地の果てへ行くようなイメージがあった。距離もさることながら高速道路がないので運転が大変なことに加えて要する時間が想像もできなかったからだ。

そんなとき、父..いや親父は深夜に東京の自宅を出る。母が大きな梅干し入りのオムスビをいくつも作ってくれポットに熱いお茶を入れる...まだ日本にはコンビニもなかった頃だ。築地のエサ問屋で釣りエサをタップリ仕入れて唯一の自動車専用道路「京葉道路」を千葉まで飛ばす。

途中で房総半島の内陸へ向かう...確か成田を通って明け方にやっと銚子へ着く。

銚子は利根川河口の千葉県側にあり、対岸は茨城県の波崎になる。

当時まだ新築まもない「銚子大橋」は橋の中ほどに料金所がある有料の橋だった。

橋を通過しながら眼下に利根川をみて「これは海なの?」と叫んだことを昨日のように思いだす。そのくらいの川幅だった....だいたい河口で1kmあり、天気の悪い日には対岸が霞んで見えない。

そして大河の水量と太平洋の潮流が河口ではぶつかり合っているから海の難所でもある。大潮の時には満ち潮と引き潮の時の潮位の差が大きく、複雑な流れを作り恐怖の「三角波」が出来る。これは遠くから見ると三角形にとがったヘンな波でこの上にフネが乗ると
舵が効かない。利根川の河口は江戸時代から転覆や沈没の海難事故が頻発している海の難所となった。

それだけの水量が上流から運んでくるのは土砂だけではない。上流からタップリと川の栄養を運んでくるからこれで育つサカナも大きく種類も豊富になる。

今でも銚子大橋を通ると半世紀前の100匹のハゼを釣った場面が脳裏に鮮やかによみがえる。「上げ潮に乗って来るハゼ」.....あのたくましい勢いは生涯忘れない。

ああ、楽しかったな.....

マハゼ
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