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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

大学とは...

2022.08.30

今日本では高校生の50%が大学に進学する。私が高校生だった頃の半世紀近く前では...30%くらいだったか。

大学は旧字体では大學と書く。明治時代になり初めて日本にできたのが帝国大学(今の東京大学)で、これは江戸時代の幕府を支える高級官僚を育てるために創設された「昌平黌」を継続発展させたものだった。

その後に明治時代の海外留学生は帰国後に新しい日本のためには教育こそが必要と考えた。彼らの熱意が多くの私立大学の創設となった。東京6大学がその基盤となる具体例である。

大學は「国の最高学府」と言われてきたが、明治時代に大学生は「末は博士か大臣か」と言われたものであった。また、実際本当にそうなったのだから驚く。

大正~昭和の戦前まではその確率は減ったものの、やはり大学生は選ばれし者であり各地方で秀才の名をほしいままにしたような若者にして幾多の壁を乗り越えたものがようやく大学の門をくぐったのである。

今の時代にあまり解説してもどうか....と思うが「壁」は厳然としてあった。
それは経済と健康の2つだった。

自分の生まれた家にある程度の経済的余裕がなければ、勉強の時間を持つことが難しい。
実際戦前戦中の日本では家族中が家業や家の維持のための役割を担っていて、誰が欠けても家計は火のクルマ..というのがふつうだったのだ。

家業を手伝いながら自分の勉強時間を確保したいと思ったら...睡眠時間を削るしかなかったのだ。ギリシア語で言う「スコレー」は英語のschoolの語源となったがそれは「暇:ヒマ」という意味である。

もう一つの「健康」とは...?

医学が発達した今の人間に実感としてわかってほしいと言うのがムリかもしれない。

それは結核だった。

英語では正確な医学用語は知らないけれど' TB 'と言えば通じる。

父の世代までの日本人で結核の脅威を知らない人間はいなかった。多くの若い優秀な学徒ほど極めて高い確率で肺結核に感染して喀血に苦しみながら亡くなったのだった。

戦後にペニシリンが使えるようになるまで国民病とさえ言われたとは、今となっては誰も話題にすらしないけれど。

また話が脇へそれてしまい失礼。

家がなんとか勉強する時間を与えてくれた。幸運にも健康を維持できた。
そして燃えるような学問への思いを胸に..

この3つが奇跡的に持つことができた人間が大学へ行った。

考えてみればこれはそんなに昔の話ではない。戦後の高度成長期..昭和30~40年くらいまでそうだったのではないか。

今ではどうだろうか?

その気になればいくらでも勉強する時間はあるだろう。好きなことをする時間をガマンすればアルバイトもできる。家に余裕がなければ奨学金を借りて足りない分は進学後にバイトしながら4年間を過ごすことだってできる。

私から一言......何かを成し遂げようと本気で思うなら、何か自分に取って大事なことを諦めることだ。永遠にではない。しばらくの間だけでよいから。それすらできないなら大学も学問もすべてはモノにならないからあきらめたほうがいいだろう。

好きなことしかしない。それを自分の理性、精神力でしばしの間も中断できないならもうすべて終わりとしか言いようがない。犬や猫だって飼い主に養ってもらうためには必死に野生の本能にブレーキをかけている。

とは言いつつも.....勉強したいと思い将来の自分に投資したいなら...

大学は無理してでも行ったほうがよい。

これには諸説ある。

「大学は人生で最後の幼稚園だ!」:自分の主張を卒論に書けるから。某神父さま
「大学なんて行かなくても同じだ」:自分は大学どころか大学院へ行った修士号の人
「夢のキャンパスライフだよ...!」:大学で失恋し今も独身の友。
「奨学金の返済大変です...........」:塾生OB

極論をいうなら、人間「....すればよかった」と思うならそうしたほうがいい。

英語でも...It's never too late.   とか   ..Never too late.と言うが本当にそう思う。

「今からでも遅くない....絶対に」英語の世界は積極的な生き方を眼前に見せる。

1つの実例を紹介すると....

アメリカ人の定年になったその後の話。

60歳を過ぎ子育ても会社人生もこなしたあとの話。地元のクルマで通える大学に社会人学生として編入学している例がなんと多いことか。実生活のために敢えて経済学部に進学したが.....第2の人生で大学では考古学とか経済学とか本当に自分が勉強したかった、興味がある学部にはいる。

日本なら地元紙にニュースで載るかもしれないがアメリカではごく普通のことだ。

大学ではこうした社会人学生を大歓迎だ。息子や娘と同じ学部学科なんていうこともある。彼らは指導に当たる大学の教員より年配、他の学生たちは自分の子供たちの年代だ。

では何故こうした社会人学生を歓迎するか?

大学の学びではカール・マルクスやケインズやらの過去からの権威のある著作をもとに研究する。また最新の世界情勢と情報をもとに自分たちの学びがどれだけの意味を持つかを常に考えつつ悩む。

そこに数十年の実社会での体験を経た、或いは悩みながら子育てを終えわが子に教育を与えた社会人学生の一言一言は大変な重みを持つのだ。

若い大学教員も大いに「実体験に基づく社会人学生の意見やリポート」を尊重する。

ここ20~30年の間、日本にもこの傾向が伝わったのかもしれない。高齢の社会人学生、或いは実際に働き職業を持ちながら工夫して大学へ入学する社会人が増えてきた。

私の知る範囲ではいきなり4年制大学を考えるのではなく、まず通信制の短大(入学試験はない)を2年間頑張って卒業。準学士を取ってから4年制の大学の3年に編入するのがよいと思う。

4年制大学にも学生の状況によって、昼間部・夜間部・通信教育部がある。どれを選んでも4大卒となり「学士」英語のB.A.を授与される。

閉話休題

ここからようやく大学の学びについての話。いつもpreface長すぎで失礼。

入試をめでたく突破。もう春の大学生くらい明るい表情はないのではないかと思うくらいの大学入学式だ。学寮があるならまだいいけれど、下宿アパート探しになると本人は贅沢ばかり言うが経済も考えてほしい。家族は死ぬ思いだ。

大学でまず「エッ?」と思うのが高校まであった「クラス」がないことだ。
学生は「 ...大...学部...学科」のだれだれ。学生番号は....。というだけ。
不安に思ったりわからないことはためらわず学生課に直接行こう。

高校までの授業は大学では「講義」と言う。

1限が90分。厳しい教員だと遅刻は一切認めないから気を付けよう。90分と講義は長時間に及ぶので1つの講義がおわると次の講義までの休み時間は長いと30分ある。良い効果を期待するなら10分前には講堂に入り前列に座ること。これは居眠り防止にもなる。

次に避けて通れない、大学生なら必ず受講して単位を全部取らなければならない「一般教養科目」が厳然と存在する。

大学の説明では「将来皆さんが専攻科目をより深く理解し、卒業論文を書くにあたり絶対必要な必須科目です」と言う。

誰に聞いても一般教養科目(学生は略してパンキョーと言う)で苦しまなかった学生は1人もいない。要するに「専攻科目だけ勉強してもらっても困ります。これは日本の大学生としての必要な知識レベルですよ」と学生課では説明する。

実例として、友人で法学部に入った友人がいた。彼は非常な勉強家でアルバイトで居酒屋また家庭教師をして学費+生活費をねん出していた。ただ一般教養の英語でつまづいた。
どの教科もよくできたが「英語」だけは性に合わず苦しんでいた。

母校の日大では他学部の一般教養の英語は6単位。英文科の学生は8単位だったか.....
この単位数をクリアするには教員から課される「リポート」に合格し、さらに単位修得試験に合格しなくてはならない。

リポート自体が英語で書く場合もあった。試験では参考テキストや英和辞典の持ち込みは認められなかった。何とかこなせたのは英文科の学生だけだったろう。

法学部の彼はどう頑張っても一般教養の英語の壁を乗り越えられなかった。
大学に「自分は法律を学びたくて入学しました。英語を学ぼうとは思ってもみませんでした」と言う内容の抗議文を学生課に提出して涙をのんで退学した。

私にとって「羊の門」だったのは経済学の4単位であった。大体において私は思いこみの激しい性格だと思う。「経済学だって、この世をカネで考えるなんてイヤだ!」そういう先入観があったから大学指定のテキストを読んでも全然ピンとこなかった。

詳しくは述べたくないが....マルクス・エンゲルスの「資本論」は驚愕の著作だった。ドイツ語は読めないから翻訳であったが。

江戸時代に長崎出島から入手した「オランダ民法典」を隠れて翻訳していた蘭学者が幕府に逮捕されたと聞いた事件を彷彿とさせる体験だった。

でも大嫌いな経済学で「やむなく」読んだケインズ経済学やらマクロ経済とは...をリポートを書くため、単位修得試験のために義務的な勉強をするうちにふと気が付いた。

「何かを手に入れるためには、他のものを諦めなければならない」と言う真実である。経済とはそれらの活動を調整するシステムであり、経済学とはそのシステムを研究する学問であるということに初めて気が付いた。

清の頃の中国語ではこの理想的な仕組みを「経世済民」と言ったらしい。明治期に福沢諭吉が翻訳語として使った「経済」の語がそののち多くの場で使われるようになった。

要するに人間界の「モノ・サービス」の流通を明らかにし、ひいては国民・民衆・人々の物質的な部分のsupplyを円滑にすることにより「その分野の」幸福を確保することこそが目的とわかった。

あたかも宿敵の正体を見て納得した感があった。

初めから私が英文科だったらこの厄介な「経済学」も知らず、「哲学」がいかに今の世に影響しているかもわからないままだったろう。

その意味においても「将来みなさんの学びがより深い学び」となるために...という学生課の説明は当たらずと言えど遠からずというものだと納得できた。

むしろ余分だったな...と思える英文科の一般教養科目にない科目を勉強できてよかったというのが今の実感である。

長くなったが、大学の一般教養科目は入学時1年と2年に集中している。取れなかった単位は卒業までの時間の中で学生課に再度の受講を申し込んで合格すればよい。

3年と4年はいよいよ卒論準備の2年間だ。

卒論と言うのは自分がその大学にはいって研究したことの集大成である。
具体的には400字詰めの原稿用紙で40枚以上であることが形式上の要件になる。

以下は大学によって異なる部分があるだろうが、日大の英文科で私が体験した事項をもとに時系列的に述べる。

まず、自分が3年生になった時点で大まかでよいから「.....」について卒論を書いてみたい、という希望を学生課に伝える。

学生課から「卒業論文手帳」なるものが支給され、内容を検討して大学教員の中から最も指導にふさわしい教員が選ばれる。

その後、数か月に何回かの指導教員による「対面指導」が行われる。その時にはroughな形の自分の卒論を持っていくこと。

教員は学生が提出した卒論の内容を厳しく(当然の親心)checkする。文体としての統一がなされてるか。日本語記述の文法的な誤りはないか。英語の固有名詞のspellingに間違いはないか。

まるで野党の国会中継のような詳細にわたっての....periodひとつに至るまでの確認と訂正が行われる。学部によらず一度でも卒論指導を受けたことがあるのなら、この辺のつらさはわかると思う。

実際、この「卒論」があまりに重たくて....(卒論も大学の単位)自信がない学生のために大学によっては卒論の6~8単位を選択科目で充足すれば可とする場合もあるようだ。

この場合、一番問題となるのが「国語力と文章力」である。

スマホもタブレットも...パソコンさえもこの段階では役にたたない。
指導教官はすべてを承知で学生の論文を見ている。

最後に可....不可を決めるのは

学生の熱意と本当にそれを裏打ちし、証明するものがあるのかである。

「他者への批判....と自慢」で終わって行くなら日々はむなしい。

皆さんの人生にはもっと意味があるはずだ。自分で思うよりずっとあなたは価値ある存在と自信を持っていただきたい

勉強しましょう。

次回は教育実習について覚えている限りブログに書いてみたい。















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