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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

S君はいま.....

2022.06.25

塾を初めて40年にもなるとそれこそいろいろな人生に出会う....

医学部・歯学部に合格しました!なんていう驚くようなことも10年に一度くらいあれば、本人の第一志望の高校・大学に不合格ということも同じように10年に一度の確率で起きる。

ここで思い出す悲しい運命とはそういう進学の例ではない。ある意味もっと深刻であり、私も力の限界を感じた実例である。 もう35年もたったことだから話そう。

昔の話だが、私も若く「韮山高校への塾からの合格者を増やそう」と考えて韮山に塾の分教室を持っていたことがあった。定期テスト前には泊まり込みで教えていたように熱血教師を気取っていたのだった。私の意気込みに賛同してオンボロ教室には生徒が各学年満席の状態だった。あまりに無理をして過労で倒れ2回入院になった。限界を知らない若気の至りである。

そのころS君という小学生の生徒が大手の塾から移ってきた。

大手のマニュアル化した教え方がイヤで人間的に温かい教え方だから..と聞いてきました、とお母さんの話だったことを思い出す。

この時に確かS君は小6で理科・算数が抜群にできた。小学校のテストはほぼ毎回100点。もうこういう生徒はいない。私はかわいくて仕方なかった...

やがて中学になって運動部に入ったが、部活にもめげず毎晩深夜まで自主学習をしている素晴らしい生徒だった。模範生というもはや死語になった古めかしい日本語がそのまま当てはまる中学生とはS君のことだ。

 理数系が良くできるから、当然教科の「技術家庭」の技術の分野もすばらしい成績だ。
S君は私によくなついて...いや心からの信頼を寄せてくれたから私もうれしかった。本当に塾をやっていてよかったと思えるのはこういうときだ。

そんなある日、S君が塾に来るなりとても興奮して息を弾ませながら私の前に段ボールの箱を置いた。ラジコンカーだ。

「先生、僕ね学校から帰って1週間夜もよく眠らないでこれを作ったんだよ!」とS君。

私も男の子のこういうときの気持ちは痛いほどわかる。

褒めてほしい...よくやったね!と言ってほしい。
凄いじゃないか!と驚いてほしい。

私も子供のころにテストで満点をとったり、釣りで大物を釣り上げた時には同じように純粋な気持ちで賞賛してもらえることを父に対して期待したものだった。

男の子とはそういうものだ。

 私はS君の気持ちと期待を察して「ウン。これは素晴らしいラジコンカーだね。一人でよくできたね。偉いぞ!」と褒めた。

その時のS君の嬉しそうな顔は今でもなお目を閉じると見えるようだ...
 事件が起きたのはここからだ。
 
次の塾の授業にもS君はその傑作ラジコンカーを持ってきた。しっかり梱包し直してだ。
そして私の目の前で箱を開こうとする...困ったなぁ。

私は塾は勉強するところだからね、と言うと「ラジコンを出さないから持ってくるだけならいいですか?」とS君は目に涙をためて言う....。
 
やむをえず、ラジコンを「出さない・遊ばない」ことを条件に塾に持参だけは認めたのだった。いまならもっと違った形の対処とか指導ができたのだろうが私も若かった。

そのうち突然にS君のお母さんから「今月で塾をやめさせていただきます」という退塾の連絡があった。

仕方ない...塾をやっている以上は入塾と退塾は繰り返されるんだから。
 
そう思っていると、同じクラスの他の生徒からS君のその後の情報が入った。

「先生、あのねSくんラジコンを塾にもっていくって言ってお母さんとケンカになったんだって。そうしたらお母さんが怒って塾をやめなさい!って言ったんだって」

私はとても心が痛んだ。泣き出したいような気持になったことを思い出す。でもひとたび塾を去った生徒の家庭に何かを言う資格も権利もない...のだからもうどうしようもない。

それから夏が去り、秋になりやがて伊豆にも冬が来る頃に塾生からまた話を聞いた。

「Sくん、あれからずっと学校に来てないよ。今日もお母さんが中学に来て先生と相談してたみたい...」

あの明るい模範生だったSくんは、この事件をきっかけに家族と一言も話さなくなってしまった。お母さんが謝ろうとしても泣きじゃくるだけ、お父さんが話しかけても返事もせず寝てしまう状態だったそうだ。

結局、S君は中1の夏から学校に行かなくなり家族や友達ともまったく話さないまま中3を迎えることになった。私は時々S君のウワサを塾で聞いているだけだった。

あのままS君の素質と優れた能力を伸ばせたら...韮山高校の理数科或いは国立の沼津高専に十分合格できただろうと今でも思う。

S君は結局のところ県立高校の定時制(夜間)に進学したそうだ。
もうそれ以上の情報は塾生にもわからないので知るすべもない.....

今の自分にできることはS君のために祈ることのみである。

Sくん...せめて元気でいてくれ。何もしてあげられなくてすまなかったね。

あんなに可能性と素晴らしい素質を持っていたのに...

後悔のない人生などありえないが、あまりに悲しい運命ではないか.....

これも神さまがS君に与えた試練なのだろうか。

私は日曜日の教会で彼を心に覚えて祈る。


 
 
 
 
 

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