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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

沖の島

2022.05.16



千葉県の房総半島先端の館山には湾の出口に「沖の島」がある。写真のように海岸とは500mくらい離れていて陸地とは砂洲によってつながっている(こともある)。...と言うのは潮の干満や潮流によって砂洲を歩いて島へ渡れる時もあるし、海に隔てられたら文字通り「沖ノ島」になるからだ。

沖ノ島付近は館山湾の湾口出口付近にあたり遠浅の美しい海岸である。夏には海水浴客や磯遊びを楽しむ家族連れでにぎわう。他の季節はもっぱら釣り人が各ポイントに展開する名所である。イシモチ・シロギス・カレイ・ヒラメ・アジ...と魚類の宝庫でもある。

私が初めて沖ノ島に行ったのは幼稚園の頃だ。湾岸道路もなく、海ほたるもなく、東京湾フェリーもなかったのか...ひたすら父のクルマは大渋滞の京葉道路を千葉に向かう。一般道をひた走って東京湾沿いを南下していく。

そして....気も遠くなるころに館山に着く。10~12時間。

館山にはかつて海軍航空隊館山基地があった。伯父は終戦をこの基地で迎えた....米軍が館山湾にLSTで上陸し武装解除されるまで基地にいて頑張った。

そんなこともあってだろうか、父は本当によく房州の館山近くに釣りに行ったものだ。
懐かしいあの頃の想い出は尽きない。

どんなルートでもいいから館山へ行こう。

市街地から海へ...北条海岸へ出て、そのまま南へ進めばそこが現在の海上自衛隊館山航空基地である。

正門には番兵(海上自衛官)が立っていて許可証を持たない民間人は中に入れない。門の外からの写真撮影も厳禁だ。

韓国・中国のように即座に逮捕されることはないけれど、グリーン塗装に赤いパトランプをつけた海上自衛隊の「警務隊」のクルマが飛び出してくるからご注意。

日本にも軍機がいまだ存在する。

基地の正門を過ぎて右手に館山湾を見ながら進むとポーツーン(浮き桟橋)には小型の自衛艦や県の漁業指導船などが係留されている。

左手にはずっと自衛隊の管轄を意味するフェンス(金網)が続く....ところどころには80年前の旧軍時代に建築した「掩体壕」(敵機の爆撃・機銃掃射から飛行機を守る)が見える。伯父はここに「ゼロ戦や彩雲偵察機」を引き入れて空襲に備えていたと言っていた。

フェンス沿いに延々と1㎞も進んだあたりだろうか。

見るからに...check point(検問所)と思しき朽ち果てた建物がある。

この検問所に初めて行った60年前..そして次の30年前までは朽ち果てたままだったが、20年前に行ったあたりから様子が変わった。

建物の内外に、よくあるスプレーペイントでいたずら書きがこれでもか...と言うほどに書かれており、見るも無残な姿となったままだ。

検問所を過ぎてなお行くと前方に「沖の島」が見えてくる....なんとも嬉しい。

あと数百メートルか....右手の館山湾は水質よく最高の釣り場だ。

このまま数キロ南へ行くと「波佐間(はざま)」という所があるが、これが日本だろうか...と思うくらい亜熱帯のイメージがする海岸と海になる。オアフ島のワイナマロあたりにそっくりだ。

ちなみに館山の沖ノ島の少し沖には「日本のサンゴ礁の最東端群生」がある。これより東に北にもサンゴ礁はない。

沖の黒潮からの支流が東京湾にはいるその瞬間のような部分が、館山沖ノ島付近である証左であろう。

だから館山湾から対岸の富浦大房岬の海岸はサンゴの砕けた「白い砂浜」である。

もし久里浜の東京湾カーフェリーの始発に間に合えば、館山で余裕のまる一日を過ごせる。始発フェリーの出港に間に合って明け方の久里浜港を対岸の金谷に向かうときは快感そのもの。

館山城からの眺望、富浦のビワ...もいい。

ちなみに....海軍航空隊だった伯父は硫黄島からの帰途、米軍の艦載機P-51に追尾攻撃された。敵機はこの沖ノ島にあった対空機関銃の射程ギリギリまで機銃掃射して来たそうである。

海面まで高度を下げ...敵機の機銃掃射のたびにフットバーを思い切りけってジグザグに飛行し館山まで飛んできた伯父の気持ちを思うと胸がつまる思いだ。

また近いうちに館山へ..沖ノ島へ行ってみたい。
伯父の魂はまだそこにある。

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