進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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挨拶しなきゃ
2022.02.24
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挨拶は「あいさつ」。英語なら' greetings'だ。
心の潤滑剤とも言われるくらい大事だ。若いころによく「あいつはあいさつもできない」という言葉をよく聞いたが、今になって思えばそういわれても仕方なかったなあ..と反省せざるを得ない自分であった。
それは「下手にあいさつしたらかえって失礼ではないか」とか「この場合どんな挨拶の言葉がいいんだろう?」と考えているうちにその貴重な瞬間は失われていったように思う。
意識することなく日本には江戸時代から儒学(ことに朱子学)の影響が残り「年長者への敬意」がどの場でも求められてきたように思う。何かの発言の順序・着席の順や位置にしても私が20代のころまでは「長幼の序」をまず考えることを教えられたものだ。
これが会社・職場でも実行されることが慣行となり、社内で序列が下の者は上司を見つけると礼を正して大きな声で「おはようございます!」とやる。
私は自営業が長くそういった機会はなかったが、かえって実に新鮮に見えて気持ち良い。
困ったのは「社内あいさつ」されることに慣れた人が...おそらくは部長以上の上席なのだろう。社外の団体や地域社会の対人関係でもこの心理状況を当然のことのように演繹してしまうことだ。
目と目があっても、相手があいさつするのを待つ...バカじゃないのか?
会社から一歩出たら成り立たないことを信じて疑わない。
あいさつは心の潤滑剤だ。
海外...特に多人種・多宗教・多文化のアメリカではあいさつは極めて重要だ。それは我が身を守るために必要な技術でもある。
elevatorに乗った時に見ず知らずの他人に必ず' Hello.Good day,'なんていうのもそのよい例である。
「あなたに敵意はありませんよ」
これがあいさつの伝える最大にして最小必要な働きではないだろうか。
とすると あいさつされるのを意識的に待っている人間とは何ものなのか。
