進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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東大
2022.01.16
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かつては東大と言えば、合格し卒業すれば立身出世はまちがいなしと言われた。これは東大がかつては帝大「帝国大学」と呼ばれて政府の高級官僚、すなわち日本の政治を担って立つ人材を養成する場であったことによる。遡れば江戸時代には昌平黌と呼ばれる幕府の人材養成機関として幕臣子弟から優秀な若者を選りすぐって教育していた。言わば日本の歴史を通して最高峰としてのstatus symbolであったのだ。
その一方でギリギリのところで東大に入れなかった若者には人生の大きな挫折となって残るだろう。それは東大を受けるだけでも、中学高校ではトップクラスの成績で地域でも秀才と言われるような存在だからだ。
ニュースでは東大を受けると心に決めながら思うように勉強がはかどらなかった高校生があろうことか、受験生を襲い背後から刃物で刺し負傷させるという事件があったそうだ。
つらい気持ちは痛いほどわかる。
でも、なぜどうして自分だけの中に絶望と悲しみをとどめておけなかっだのだろう。
誰にも迷惑をかけることのない自分の始末を考えては見なかったのだろうか。
我が身の絶望、この上ない不幸と決して癒されることのない悲しみに苛まれるとき、周囲の人をそれもできる限り多くの人間を道連れにしようとする。
その究極の悲しみとは何か?
キリスト教の旧約聖書に記されたサタンがまさにそのものだ。信じられているような恐ろしい姿の悪魔は後世の想像の産物だ。サタンは人間を誘惑するには光り輝く天使にさえ姿を変える。目的はただ一つ。神に逆らった自分がやがて永遠の地獄に落とされることがわかっているから、人を誘惑し堕落させ神から離反させて地獄への道連れにしようとするのだ。
自分の悲しみや絶望へ、他者を道連れにしようとする人間の心理を考えてみたらふとそう思った。これは私がキリスト教徒であるゆえのイメージであるからと一言申し添えたい。