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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

特攻...なぜ?

2021.08.16

昨日は送り盆。わたしたちと共に3日間を過ごしたご先祖の魂はまたあの世に帰って行った。折しもその日が太平洋戦争の終戦記念日と一致しているのは何か特別の意味があるように思えてならないのは自分だけだろうか...子供のころから不思議でならなかった。

私の父の世代....大正末~昭和一桁生まれの日本人で男子なら、少年期には「軍国少年」が当たり前。その先はそれぞれの学力や特性によってご奉公の道は分かれても「忠君愛国」の精神を胸に....如何にして自分を国の発展のために捧げようか(役立てられるだろうか)と燃えるような思いをいだいていた。

「昭和一桁の生まれと言ったって1年違えば..エライ違いだ!」父や伯父たちがこう言うたびに子供の私は理解できずに戸惑ったことを思い出す。

西川の3番目の伯父は実に反骨精神の権化のような人で、海軍航空隊予科練の選抜試験を今の東大で受験し見事合格。

茨城県土浦の海軍航空隊で徹底的な教育を受けた。これを海軍予科練習生...略して「予科練」という。

伯父は卒業時の適性試験により水平爆撃・低空雷撃の「97艦攻・天山艦攻」専修となったそうである。

九七式三号艦攻伯父の乗機97艦攻

今はミサイル一発の時代となったが、当時は違う。戦闘機は制空権の確保のために飛び回るが、攻撃機は「水平爆撃」「急降下爆撃」「雷撃」の3つに分かれていた。

伯父はこのうち「水平爆撃・雷撃(海面スレスレの超低空で魚雷を投下する)」役割の97艦攻...終戦時には改良型の天山艦攻のパイロットだった。

あの硫黄島から最後に飛び立ったのは伯父の乗機だった。

伯父はその数か月後「特攻」となった....

小学生だった私は伯父に訊いた....のちには伯父の晩年にも訊いた

私 「どうして、特攻になったの?」

伯父「他に方法がなかったんだ...」

「当時の状況を知らないなら何とでも言える...航空燃料もかつかつで国民のほとんど食べるものもなく飢えている...オレはたまらなかったよ」

 「この戦いに敗れたなら、男は奴隷となるか殺されるかだ。女は凌辱される...」

そう言われ...そう信じた中での決断だった。
それが特攻である。

後世の自分たちにはまったく何かを言う資格はない。

  

  





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