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わかるまで教える。生徒の能力を引き出す...この2つを可能にするのが塾です。

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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

誰のせい

2021.07.29

ここ数年の入塾生には特徴がある。

一言で言うなら本当にいい子たちだ.....中国の古代四書五経には生まれながらの人間の本質を信じて「善」とする性善説と性悪説があるが、生まれながらに良いものを持った子供たちだと思う。ただ、これと後天的な教育・環境はまた別の話のようである。

本当に天真爛漫と言う言葉がそのまま当てはまるような子供たちだ。おそらく両親(片親であっても)の愛情いっぱいに育てられて来たのだろう。

ここから先を書くか書くまいか...世の親御さんたちからは恨まれるだろうな。

長い逡巡が私には必要だった。

どの子も目に入れても痛くないような子供たちばかりだ....でも一方で今ほど教育されていない子供だらけの日本はかつてなかった。

それは決して大学教育やさらに進んで大学院までの教育や研究ではない。学校教育は英語で education と言うが、それ以前の人間としての教育をもう一度振り返ることをしなければ日本の未来はない。

国の将来未来を決めるのは「子どもたち」のハズである。その子供がどんな状態かほとんどの親は知らない。いや、わが子ほど愛情のbias(バイアス)がかかるから正しく見ることは難しくなる。

私は昭和生まれの古い人間だからかもしれないが、以下私が日常的に感じる現代の子供~若者気質の具体例を書いてみたい。

「全力でやる....ただし自分の好きなことだけ」

すべてがコレだ。

小学生に始まり中学・高校までの12年間をひたすら好きなことだけに没頭する生徒が驚くほど増えて来た。それはピアノでもサッカーでも分野を問わない。中学になるとそれは部活になりさらに熱心の度合いを増す。

決して悪いことではない...むしろ美しくさえある。親も我が子が一つのことに打ち込んでいるのだからと安心する。これはかつて自分もその一人だったからよくわかる。

ただ、そこにデメリットがあることに目を向ける人間は少ない。

極論すれば人間の持っているエネルギーは有限だと言うこと。精神的にも肉体的にもその瞬間に発揮できる力には限りがある。それを無限だと言うのは暴論だ。

人間の進化・発展の可能性と個人の持つエネルギーの限界は明らかに違う。

小学生の低学年からサッカー或いは他のスポーツに熱心に打ち込んでいる生徒は多い。我が子もそうだった。子供が溌溂と嬉しそうにしている姿をみることが親にとってどれほど幸福なことか...親も子供のその活動に送迎・お弁当作り・試合の応援と積極的に参加して子育ての充実を具体的に感じる瞬間でもある。

かつて見た実例に、自分の打ち込んでいるスポーツにしか興味を示さない生徒がいた。己が持てる体力と精神力のすべてをかけるほどの熱心さだったからチームでの活躍も期待も大きく試合でも多く勝ってきた。

まず驚いたことがあった。

それは何度注意しても「まっすぐ前を向いて座り授業を受けられない」ことだ。すぐに横や後ろむきになってしまう。

いつも友達を視野に入れていないと不安なのか?
大勢の中にいても孤独感や疎外感を感じざるを得ないのか?

具体的な症状として....

漢字を可能な限り書かない(平仮名ノートだ)
自分の考えていることを文章化できない(作文でこまっていた)
小学校高学年からの漢字が読めず書けない。

数学では分数・小数の計算になるともうあやしい。
L(リットル)dl(デシリットル)㎡(平方メートル)㎥(立方メートル)を知らない。
図形の証明では問題が「何を尋ねられているか」...それ自体を読み取れない。

英語では単語を覚えていないから書こうとする段階でつまづく。
中1のbe動詞と一般動詞の初期文法がゴッチャになっている。

他の教科は「オシテ知るべし」である。

総括すると、残念ながら「躾」(しつけ)がまったくなされていない。
小学校までの初等教育段階で「勉強」していないことの後遺症がある。

強烈な自己主張。

究極的には「ありがとう」と「ゴメンナサイ」が言えない。

年長者を尊敬せず、玄関でぬいだ靴はメチャクチャで揃えることもない。

家族との会話は少なく、スマホ・SNSは多く....

具体的な事例を挙げればきりがない。

しかしながら、その一方でこのような生徒を受け入れ教えなければならないのが塾。
優秀な...一方で問題のある..双方のmixed studentsが同時に入学してくるのが地域の小学校であり、また中学校である。

昔のように一つの基準で生徒を教えればよい時代は去った。

多種多様な価値観に驚き、苦しみながら受け入れて、教壇に立てなければ今の教員はつとまらない。父兄も児童・生徒も多種多様だ。大学の教職課程ではここまでのことは教えないし、テキストにもない。

まあ、そんなことはどうでもイイ。

ご家庭にはただただ、次の2つのことをお願いしたい。

まず、人間として日本人としての基盤である「躾」(しつけ)。
次に、理由の如何を問わず小学校6年までの基礎中の基礎を「最優先で植える?」こと。

絶対に他の何を犠牲にしても教え込んでほしい。
さもなければ中学・高校の6年間は本人にとって地獄の苦しみとなる。

我が子が泣こうと叫ぼうと....この2つがなければ子供の将来はない。

すべてはこの2つの上に成り立つとお考えください。

Charity begins at home.

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