進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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日本人にとって「本」とは
2021.05.10
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本とは不思議なものだ。そこにあるのは実用的な情報だけではない。情報を得るためであればそれは読書ではない。情報取得の作業である。それはそれで必要だ。
本には書いた人間の精神・魂が宿る。
だからこそ、われわれ日本人の先祖は本・書物を実に大事に扱ってきた。遠く古(いにしえ)の史実を見れば半島の「百済(くだら・ペクチェ)」から大和朝廷は「漢字」と「仏教の経典」を授かった。
その後、当時の国造り燃えた奈良の時代から当時の中国「隋・唐」に日本は命がけの渡航をして遣隋使・遣唐使を送り続けた。留学生・留学僧はトップクラスの秀才を選んで大陸へ送った。
遣唐使船が日本から出港するのは20年に一回だった。20でフネに乗っても帰国したら40歳だ。選ばれた留学生・僧はかの地で命を削るような勉強をして、20年間の学び取った成果を日本に持ち帰る義務があった。
その成果はすべて原典と解説書を筆写した「本」であったのだ。
それは「法律(律令)・仏典・漢方医学・陰陽」と多種多方面に渡るが、すべては命をかけた貴重な「筆写」の本であった。
時代は流れて江戸時代。禁教令と鎖国の時代である。
海外の情報は唯一の長崎出島から入って来る「オランダ」と「清国」経由に限られた。
特に西欧ヨーロッパと新興国アメリカについての政治情報+西欧医学の吸収とupdateは江戸幕府の外交・軍事・日本人の命にかかわる重大事であった。
出島に舶載されてくる洋書はすべてオランダ語による印刷だ。これを如何に正確に日本語に和訳するか...長崎オランダ語通詞が世襲で書き留めた「対訳」も含めて命がけ、国家がらみの努力で輸入した蘭書を和訳して行った。杉田玄白のターヘルアナトミア「解体新書」はその良い例である。
これは当時唯一の「蘭和辞書」であった「ヅーフ・ハルマ」。幕府の政策的判断もあり
筆写のみ33冊しかCopyを許さなかったという。
その故に、当時の「本」に対する希少価値と言ったら今では想像もできないほどのものであった。
この傾向は明治・大正・昭和と受け継がれた。
私が小学生のころにはまだその残像があった....「新聞をまたぐな!」「本をきちんと並べろ!」と言う。
本とはそういうものであった。
しっかり本を読んで育った人間は昔から顔が違った。
