進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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潜水艦とバナナ
2021.05.04
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ゴールデンウィークの間、コロナによる長距離移動の自粛、天候の不安定で海も風波が安定せずあぶない。やむなく伸びすぎた実家の庭木の剪定や猫の世話で終わりそうだ。
そんな合間に見たAmazon Prime Movieの映画は面白かった。'Impact Crash 'という潜水艦の映画だった。その出港の準備にバナナを積み込むsceneがあって思いだした。
♫ かーわーいい魚雷と 一緒に積んだ...青いバナナもー黄色く熟れたー..♫という昔そのまた昔にきいた歌だ。驚いて笑っている方は私よりずっと年配の方かその方面に趣味のある方だろう。
日本の旧海軍にはドイツのU-Boatと並んで「イ号潜水艦」があった。この歌は何と、当時の同盟国ドイツのU-Boatとの共同インド洋作戦でのイ号潜水艦の活躍を顕彰したものだった。
日本はロンドン軍縮・ワシントン軍縮で米英に対して主力艦の総量をグッと抑えられていたから、潜水艦や航空機で頑張るしかなかったのだった。
ニシカワの関係では海軍航空隊の伯父のほか、祖母の義弟が海軍の第6艦隊イ号潜水艦乗り組みの士官だった。
当時の日本の潜水艦には大型航洋のイ号、小型間のロ号とハ号があった。海軍少尉だったなんと呼んだらいいのか祖母の義弟だから大叔父..は実家が茨城県だったので横須賀にイ号が入港し上陸許可が出ても実家が遠すぎて帰艦時間に間に合わない。祖母はそのころ東京港区の高輪に祖父に嫁いで住んでいたから京浜で品川まで来て、今の品川プリンスホテルの坂を上っては数日滞在したそうである。
「ヤマナカ少尉 ただいま帰宅いたしました!」と挙手敬礼すると高輪警察署の警官は敬礼し路上の通行人も丁寧にお辞儀。祖父母も大いに喜んでそのたびごとに迎えた。
大叔父はその後のガダルカナル島に上陸する陸軍部隊の支援のため横須賀を出港。一路太平洋を南下し、米海軍部隊と交戦。ガダルカナル島沖の海域で米駆逐艦の爆雷攻撃により損傷をうけ沈没。艦と運命を共にした。イ号第15潜水艦。
自分は戦後の生まれだから大叔父と会ったことはない。でも後日、予科練を志願して航空隊に入った3番目の伯父はヤマナカ少尉にあこがれて海軍に軍籍を置くことになったことは事実である。
ちなみに、現在の海上自衛隊は最も旧海軍の伝統を引き継いでいる。将校生徒(いまはこう言わないのか)を養成する江田島(瀬戸内海、広島近くにあった当時は海軍兵学校)の日課は80年前と同じ「ラッパ」である。護衛艦に掲げる旗は旧海軍の「軍艦旗」だ。
潜水艦はどうか....各国で原子力潜水艦の建造や能力を競い合っているが、これは専守防衛に徹する日本には必要ない。日本本土とその領海を守り抜くことに限定したbestの能力を海上自衛隊のディーゼル艦は備えている。
大戦中の潜水艦はすべてディーゼル艦。潜水深度の限界は米潜水艦でも150~200m。日本のイ号は100~150m。これを越えると「圧壊」と言って水圧で艦はタマゴの殻が割れるように破壊され沈没する。
現在の日本海自の潜水艦は潜水深度800mでその深海から海上・海中の目標に魚雷攻撃が可能であり、世界のどの国の潜水艦にも勝る能力を誇っている。
誰も思わず誰からも感謝されなくとも、深海から日本を守っている。
それがかつての第6艦隊..今の海自潜水艦部隊なのだ。