進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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英語ができるように...
2021.04.12
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これは多くの日本人の夢であり目標でもあるだろう。
その目的は何だろう?
高校や大学の入試に英語があるから....学歴に関係なく英検やTOEICで高得点を取りたいから...外資系の入社試験の英語が難関だから....
それは人によって異なるだろう。
私自身様々な学習方法を試みたが、結局のところどれほど高得点を取っても、いい結果を得てもそれは一瞬のこと...瞬間の満足しか得られなかった。
人はわがままだ...いやこれは嬉しい結果ではあるが..temporary satisfactionにすぎないと心のどこかでわかっていたからだったろう。
やはり日本人が日本にいて安定したレベルに達するには大学入試を経て大学の英語関係の学部「英文科・英米文学科・英語学科・国際関係学部」のような英語をmainに学ぶことだ。そしてすべての科目のreportと試験に合格すること。
そしてB.A.(英文学士)の学位をまず得ること。
ここに至るにはまず大学入試に合格すること。4年制大学なら1・2年は自分が本当に勉強したいと思う科目とは似ても似つかない経済学や歴史学...凄い科目になると考古学とか法律学まで学ばなくてはならない。
これが一般教養科目と言って大学新入生にとっては「箱根の関所」だ。
好き嫌いを言わず将来の自分の学びを「幅広い教養の目」で考えらえるように整えるいわば「修行の2年間」である。コピペも答え丸暗記も一切通用しない世界。
自分の学びの浅さに愕然とする瞬間でもある。
中高と周囲からアイツは英語できるんだョ...と言われて鼻高々としていた自尊心があっと言う間に打ち砕かれてしまう。
大学の英文科・英語学科なんて言うと学生の中には帰国子女や留学帰りなど当たり前のようにいる。彼らは何かを話しているとき、あとで思いだすと「英語ではなしていたのか日本語だったのか」覚えていないことが多い。
ではNativeと同じくらいに英語ができる彼らが何故ゆえにまた日本の大学に入学して苦労しなければならないか?
それは日本には悔しいが...理解するのも難しいが「日本なりの英語」の学びがあって、それをマスターして初めて教職課程を大学で学び英語教員をつくる....その伝統がいまだにある。明治以来の古めかしいと言われようと「関係代名詞...先行詞」とか「不定詞の3用法」や「現在完了の日本語にはない時間の説明」など...要するにJ.T.E(日本人英語教師)として日本語で歴史的・文法的に研究されて来た我が国の指導法に基づく授業を日本語で、それも正確な日本語で教える能力がなければならない。
英語の教員は英語ができればいいんだから...なんて考えているならトンデモナイ。
日本生まれ・日本国籍・日本の大学教育を受け日本英語の専門教育をへてすべての試験に合格した人物にしか文科省は「英語教員免許1種・2種」を出さない。
ここにおいて外国の大学を出て帰国した人間やひたすら英語を勉強している若者からは、英語について「教員免許」取得に際して「日本の短大(2種免許)・4大(1種免許)」を出て教職課程を取らなくても例外的な試験制度を設けて新たな「道」を作って欲しいという要望がもう40年以上前からある。
日本の外務省も文科省も明治時代と何ら変わっていない。先例主義で特例を認めない。
熱い要望はわかるが、まず絶望的だろう。
日本の特に公立の中高校では日本式の英語教育を受け英語教員の教職課程をへて教員免許を取得した教員しか採用しない。ただ、英語が話せるとか発音がイイではALTと同じ外国人英語指導助手となり非常勤講師扱いである。
まあ、これは英語教員の話。
ただ、英語が話せて聞ける....でよろしければ簡単。
市場にはありとあらゆる教材がある。凄いものになると「聞いているだけでスラスラの英会話」なんて言うのも有るくらいだ。本当か?
アメリカに行けばホームレスのおじさんだって滑らかなAmerican Englishで話す......
要するに自分が求める英語が何なのか?ということだろう。
観光旅行の英語なのか?
仕事上で必要な英語か?
一生かけてスキルアップしていきたい英語なのか?
まずはその必要の度合いがどこまでかを考えることだろう。
具体策はそのつぎに考えよう。
ALTは国のJETというプログラムでEnglish Speaking Countriesで、日本との友好国できれば同盟国から一定の審査を経て合格した若い世代が来日する。
裏話だが...New Zealand 出身の友人の女性は「成田空港についたとき」に続いて到着する各国のALT志願者が文科省担当者に集められ、希望や現地の実情にあわせて任地が決められたそうだった。
その瞬間の「興奮」と言ったら大変なもので、任地が決まるたびにALTはみな雄たけびをあげて「任地行の電車」に乗って全国へ散って行ったそうである。
そしてようやく決まった任地の中学・高校で受け持ちの生徒たちと初めて会う訳である。
ALTは孤独だ。