進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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石丸静雄先生
2021.04.11
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先生と言っても直接にご指導を受けたのではない。
昔そのまた昔、私は東京の三鷹で生まれた。JRで言うと吉祥寺か三鷹だが、より分かりやすく言うと今のICU(国際基督教大学)の近く。周囲には意外に開発されない「武蔵野」の原生林が奇跡的に残っていたが、これはアメリカのロックフェラー財団が所有していたとのことを後で知った。
今でも思い出すのが三鷹の小さい家の日曜日の朝のこと。父母と幼い私が家族そろって朝寝坊している....雨戸のすき間からまぶしい太陽の光が差し込んでいる情景だ。
人間歳をとり還暦を過ぎると、過去の平和で幸せだった人生の一瞬を大事に思いだすそうだ。
そしてその一瞬のためなら今の全てを投げ出しても惜しくはないと考える。
これは人種や宗教、国籍に関係なくそう思うようになるそうだから、アジア人に限らない普遍的な人間の本性なのだろう。
この幸せだった幼児~幼稚園まで私は自分が生まれる前から我が家にいた雌猫ミーコと一緒に育った。その閑静で緑あふれる三鷹のご近所は学校の先生とか大学の教授、更には小説家や翻訳者の先生が住んでいて、なんだか今にして思えば非常にacademicな雰囲気が漂う住宅街だった。
その中の一軒に「石丸さん」というお宅があった。幼稚園に入るまえから母にいわれて回覧板を届けに行ったことを思い出す。
石丸さんのおじさん(ご主人)は大学のドイツ文学科の教授で学生を指導する合間を見つけてはひたすらドイツ文学の翻訳に取り組んでいたそうだ。
先生はいつも家にいなかった。
いや後で聞いたのだが、当時三鷹から埼玉大学や宇都宮大学まで長距離を通勤していらしたとのこと。もう60年近くまえだもの...バスの本数も少なく電車のaccessもよくない中をご苦労されたとお察しする。先生、大変でしたね。明け方に家をでて深夜に帰宅。
その先生がある日突然、我が家をお尋ねになった.....
先生の手には「1冊の真新しく美しい箱に入った本」があった。
「いやあ...数年もかかってしまいましたが、ようやくこの本の翻訳が終って世に出すことになりました。」「記念に、一喜君(私の名)に差し上げたいと思い持参した次第です」
英語なら' I ' 「私は」と' You'「あなた(あなたたち)は」なのにドイツ語では相手に対する立ち位置でいくつもの変化形がある....幼少の私には信じられなかった。
「エッ!?」で終わる気持ち。
確か...石丸先生はご尊父と親子でドイツ文学の研究に一生をささげたと記憶している。
偶然にありがたくも私の幼少期に接点があったのだった。
ちなみにほんの一瞬でよいから「石丸静雄」の名をPC検索してみていただきたい。
その本は「くるみ割り人形」とシュトルムの「湖」の和訳本だった。
引っ越しのたびに紛失しないよう気遣った結果、今でも手元に大事に保管してある。
もう60年も前になるのに、1ページをめくるたび石丸先生の翻訳者・ドイツ文学研究者としての熱意を感じる。私にはドイツ語はまったくわかりません。
私はある意味、先生を裏切って父の言葉に従い英語に進んだが、他の何ものにも左右されない先生の文学者・翻訳者としての姿には敬服の限り。大学では第二外国語にもドイツ語は取りませんでした。ゴメンナサイ。
それでも、たとえ3歳の幼児にも礼を尽くし「大きくなったら読んでください」と言って手渡して下さった。先生のその時の様子、表情、言葉の全てを覚えています。
ああ、懐かしい石丸先生。
私は先生に託された万分の一もできませんでした。
今の世が必要とするのは英語でした。私は自らも学びつつ生徒に教えてきました。
彼の地でお会いしましょう。
PS:みなさまへ
いやあ本当にと言っては失礼だが、どこで何を食べて美味しかったとか...家族・友人と楽しかった....というような明るいblogが書ければ良いのだが、本当に申し訳ない。こんなblogの文章になってしまいます。でも、自分心に浮か日々現実の何かを書けばこうなるのです。どうぞお許しください。