進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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大学をどう出るか.....
2021.03.22
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結論から言おう......大学が4年制の場合は128単位を取り、卒後論文(8単位)が合格すれば卒業できる。言うは易しだが。
その技術的な答えをここに探すなら....ココで話は終わり。
Net surfingしてより興味あるsiteへどうぞ。Thank you for visiting me.
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初めに言うが、親が子供の学歴や進学先を誇らしげに言う時ほど「惨め」な瞬間はない。
親のあなたは大学でどういう勉強をし何を専攻して...どんな学位を持っているのだろう?
子供が高校で死にもの狂いのように勉強して、見事第一志望の大学に進学したとしよう。
ないお金を振り絞って、子供の大学にできるだけ近いアパートなり下宿を決める.....
親心だ。
引っ越しの手続きを終え、明日から生活できるギリギリの状態が整ったのを確認して親は泣く泣く帰る.....その気持ちは親になって初めてわかる。
問題と試練はそのあと。
まあ、アパート・下宿に慣れた後に続くのは勉強だ。
「どうやって単位をとるか?」
大学の勉強は警察の昇任試験に似ている。
とにかく勉強して各科目の単位認定試験に受かることだ。
そして親が危篤でもない限り「必ず講義に出席する」「遅刻は厳禁」「指導教員・教授の勧める本は高くても必ず買う」こと。その推薦本の中から出題される可能性が高い。できればその教授のゼミに入会すること。個人的にacademicな良い影響を受けることが一生の宝になることだってある。
ご存じのように4年制大学は卒業時に「~学士」の称号を得る。短大は「準学士」。
大学の卒業要件は「128単位」だから、このうち卒論にさける時間を考えるなら、概ね大学の2年の終わりごろから卒論の準備に入らないともう間に合わない。
あなたは昔どうだったか?
毎年、卒業論文が間に合わず卒業できない大学生がいる。専攻科目で単位が取れない場合はもう論外。好きで選んだ学科の科目だもの恋愛と同じだ。命がけで勉強するのみ。
学部によって違いがあるが、卒論の提出と指導教官の合格判定を卒業の必要条件としている場合が多い。卒論は提出すればなんでも...と言う訳にはいかない。指導教官の助言を受けながら修正や訂正を繰り返し、ミスを正しながら本論の研究の結果を結論にしているか...このあたかも数学の図形における証明に似たprocessを教官は見る。8単位。
本人にとっては卒業が1年先になるだけかも知れないが、親はたまったものではない。卒論が通るかとおらないかで1年分の学費をプラスするかどうか...になる。
国立大で文系なら50万円くらい。理系ならさらに高くなり、私立の文系・理系はもっと高額になる。非常に言いにくいが学費を支払えず退学になる学生だっている。
何としても4年間で卒業することが一番の親孝行だ。
そのためには、ひたすらに勉強すること。イヤなら今月で学生課に退学願いをだすこと。
私がいまだに私淑している日大の教授はかつて凄いことをおっしゃった。
「昔の話だが、私は入学した時から研究したいことがあり卒論のテーマが決まっていたから必死だったなぁ。大学1年で4年分の教材を買って毎日勉強してはreportを書き、上級生と一緒に科目修得試験を受けたんだ。だから最低必要な128単位は初めの1年間で取ってしまった。きつかったけれども、2年生からまるまる3年間を自分の研究と論文作成に使えたから実に充実していて心から楽しかったよ...」
生活と学費のためにアルバイトをするのは仕方ない。でも余裕のためとか小遣いが欲しいから、旅行のためという目的ならアルバイトは勧められない。それで終わるから。
学生の本分は学びにあり....だ。
それ以外はすべて「オマケ」と考えなければやってられない。古い表現だが大学は学問の最高学府だ。その4年間に全力で勉強・研究しないならいつやるの?
そこまでの決心がないなら大学など行くな....親が可哀そうだ。
一旦社会へ出て就職し、会社で働くようになったら仕事がまず最優先でなくてはならないだろう。自分の勉強が第一で仕事はその次...のような社員はいらないと会社は判断する。
まちがって(?)結婚したらどうなる?
配偶者は家庭のため、究極には自分のために尽くしてくれることを...ただそれだけをあなたに望む。
自分の勉強ばかりしていて家事もやらない、会社の仕事も最低ギリギリしかしない。その状況で子供でも生まれたら家庭は戦場と化す。
現役の大学生にこの事実を今からわかれと言うのは過酷だろう。ムリかもしれない。
しかし、このブログをお読みの方は人生において苦労を重ねて来られたであろうから、お分かりいただけると思う。
人間、苦労してやっと手に入れた「時間」は何よりも尊い。
大学の4年間はある意味社会に出る前に神さまが許した最後のパラダイスだ。
終りに
大学の学びで何が一番必要か....誰も明確な答えなどない。
強いて言うなら「文章力」ではあるまいか。もちろんその前に母国語である日本語(国語の力)があってのことだが。
大学生は1年~2年で学ぶ一般教養科目が驚くほど多い。真面目な学生ならほぼ毎日「リポートか小論文」を書いている。
ここで絶対に必要なのは....高校までに培った日本語能力を駆使して如何に「求められた
課題にふさわしい文章が書けるか?」と言う文章力なのである。
私も初め勘違いをしていたが、英文科のある教員から鋭い指摘を受けて目が覚めた。
「ニシカワ君のreport読んでいるといつも思うんだが、キミは文章の形を初めに考えているんじゃないかな。起承転結の文章構成は...あれは中国の漢詩を作るときの書き方だよ。
私はreport・論文はもっと自由闊達に序論・本論・結論でよいと思う」
大いに反省した。文章構造とか文体をまず考えるようでは中身のなさを補うようなもので、決して良いreportは書けはしない...とようやく気付いた。
日本人なんだから日本語をより学び、文章力をつけよう。
母国語がダメなら何をやってもダメ。PCで言うならOSがダメなんだから....
ここまで来るとコピペのような誤魔化しもテクニックも役には立たない。指導にあたる大学の若い講師や助教授はすぐに「文章の中の不自然さや矛盾」を見破る。
大体において、自分の力ではなく他の誰かがどこかで言っていることをネットで探して如何にも自分の意見や主張に見せかけて「提出する」その精神的態度は最も嫌われるし大学の評価が最悪最低になるのが事実だ。
覚悟せよ....
今は小説家だろうが学者であっても、直接ペンをもって原稿用紙に書いてなどいない。
PC上におそらくはWord機能で書いているのが普通だろう。
それでも一番大事なのは....
これを大学の教員も教授もことあるたびに学生に言って来た言葉だ。
「自分の言葉で、いかに自分の論理を述べているか...」というただただそれだけなのだ。
説得力があり、時代の要求に応えるup-datedされた文章であっても誰かの「引用」である限り大学は一切評価しない。
「コレ何処からの引用ですか?しかも引用元も明示されていないね?」となる。
そんな世の中の誰でもやるようなmedia根性丸出しの「ズル」を平気やるならウチの大学はやめてしまうほうがいいね....!
真面目な若い大学教員ほど本音を言う。
結局はどこかの学者・研究者の書いた何かを図書館まで行って見つけたのか...今ならnet上で発見して自説に取り入れたのか...という時間と時代の差異だけであろう。
もう随分昔になるが、当時の私たち学生は結構ショックを受けた。
その故に自分の学びを反省して「自分はこの学びをどう形にするのか」というところに目標をようやく見出したのであった。
そこに学生自身の努力(論文のための現地取材や各地の図書館での資料検索のような)があり、そのなかで学生が自分なりの研究目的をどこまで真摯に研究し結論を出しているかを指導教官は厳しく見るのである。
卒論は4年間に書く「リポート+小論文」の技術を自分の研究発表に100%以上に使って発表するものなのだ。
パソコンもそこで得られる情報も全ては「卒論材料のための1情報にすぎない」。
パソコンもスマホも道具に過ぎない。
この2つに頼るだけならその人間の人生は終わる....
本当の自分の力が試され評価されるのが大学であり、卒業要件が卒論なのだ。
Fresh menは.....悩みながらも頑張ってほしい。
日本の未来もキミたちの将来も今の....悩みと苦しみの答えにつながっているのだから。
PS.ここで気づいたことがある。「文章は人をあらわす」...文章を読めばそれを書いた人の人格や価値観、教養がどれだけあるか...がわかるという意味だが、最近では自分の意見を一切文章にせず「ひたすら人の書いたもの」を批判する人間が増えて来たこと。「批判することに長けて」自分から代案を提出しない。要するに「批判と自慢」するだけの人間が時代を席巻している。イヤだなあ。若者がマネしなければ良いが。
ここ1年間読み込んでいる「サイコパス」とはこのことか。
皆さんはどうお考えになるだろう。