進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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イシモチ
2021.02.10
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これがイシモチだ。最近ではこれを夢中になって釣る人も少なくなったが、それは釣りの世界の中の流行り廃り(はやりすたり)ではないかな。
伊豆ではイシモチを専門に狙っている釣り人はまずいない。ピンポイントの釣り場では伊東の宇佐美港から波の荒い潮の濁った日に遠投すると釣れるのが地元。あと一ヶ所は東伊豆の河津にある今井浜ホテル南端の磯だろうか。ここでは現場で獲ったヤドカリをエサにすると入れ食いになる。
イシモチはあまり市場に出回らないから知る人は少ないが、私はもしこの言葉があるなら「名魚」と言いたい。
父に連れられて行った釣りではイシモチの忘れられない思い出が2つある。
現場の実体験を伴う経験ほどガッチリと記憶に残るものはない....そのまず第一が房総半島の九十九里浜を限界まで北上したところにある「飯岡」だ。この飯岡漁港の防波堤に小6の6月梅雨時の夕方に父と私はいた。
大潮の夕方の満ち潮にかかっていたのだろう。父...もう「親父(おやじ)」にしよう。
親子して同じ仕掛けだ。ジェット天秤25号で鈎は伊勢尼の15号、ハリス5号の太仕掛け。
日が暮れて行くのにイシモチの入れ食いは続く。投げ釣りをやったことがある人にはわかるだろう...全力で沖に遠投して....道糸がリールからシューンと出ていく。
仕掛けが海底に着くと同時にすかさずリールを巻いて「糸フケ」を取る....
道糸がピーンと張った瞬間に「ガン!ガン!」というアタリ。
嬉しくて死にそうである。
この時この瞬間がまさにそうだった。
何故かイシモチは懐かしい思い出のなかでは「夕方のサカナ」だ。
飯岡の次には「富津」の東京湾観音下のイシモチを思い出す...
もう遥か昔だがこの思い出も強烈である。
地図・海図を見ればわかるが房総半島の館山から海岸沿いに北上すると「富津」。
富津から東京湾の西方に向かって細長い砂州...と言うか「岬」がある。
小学4年生のある夏の夕方、富津岬の東京湾観音の真下で親父とイシモチ釣りに行った。
この時も大潮の上げ潮にかかっていたのだろうか....
30~40cmのイシモチが入れ食いになった。
とにかく足元でも釣れるような状況。子供だった私はふざけて「ハゼ釣りの竹竿仕掛け」でゴカイをエサに砂浜から垂らしたら波打ち際でも入食い。
こういうことがあるとそれは運命だ。
釣りは人生の一部になる。
半世紀もたってから....韓国のある日、プサンの夕方に入った食堂のmain menuがなんと「イシモチの石焼」だった。これがまた美味しかった。
瞬間...私の魂は生きながらにして飯岡と東京湾観音下にwarpしていた。
新鮮なイシモチは刺身もいいが、私はあの時に帰って「塩焼き」が最高と思う。たっぷりの「大根おろし」を添えて。
イシモチは親父の思い出...