進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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電話をめぐる変遷
2021.01.27
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電話って何だろう.....その歴史は古い。
大体において、祖父の時代には東京でも銀行と会社、官公署くらいにしか電話はなかった。祖父の話だと電話を使うときにはまず「交換手」につながる。ここで相手方の番号を言うと交換手が手動で「少々お待ちおください」と言って相手方を呼び出すシステムだった。これは電話機本体が壁掛け式で受話器が医師の聴診器のような形をしていた。送話器のほうは本体にくっついていて移動できない...固定式のラッパのような形をしていた。
だから大正から昭和の戦前までは「電話自体」の普及数は本当に低く、緊急の連絡の場合には「チチキトクスグカエレ」のような電報だったことを今でもよく覚えている。
私が小4の時の松島の祖母が危篤になった時にも、深夜に届いた電報を握りしめて泣いていた父の姿を今のように思いだす。
それからは日本もなりふり構わぬ「高度成長期」に入ったころだった。
吊り下げ式の電話は姿を消した。変わって登場したのが「回転ダイアル式」の電話機だ。
このタイプは市場での寿命は長かったと思う。
これは初期段階のダイアル式に比べたらかなり早く回転するようになった。
これが時代を席巻したプッシュホーン。ついこの間まであったような...2Fの書斎に直通の番号で1台これを置いていたっけ。
現在はどうなんだろう?
ほとんどの家庭では「Fax機能を備え・迷惑電話shutout機能」を備えた最新版の電話設備を持っている。
このタイプではFax機能があり、受信だけでなく自分の用事をFaxして相手に伝えられるようになった。
皆さんのご家庭はこの段階と考える。それでよいと考える。
NTTが嘆いているが旧態依然とした「固定電話」も「公衆電話」も使用頻度がガタ落ち。
家庭の固定電話にはひと月に2回くらいしか受信記録はない。
こうなると本当にいわゆる「家電(いえでん)」をNTTとの契約でほとんど使いもしないのに「毎月の使用・利用」契約を結び定額を支払う必要があるのか.....
というところにたどり着く。
日本国憲法における「表現の自由・価値判断の自由」とここで抵触する。
これは全体を見渡せば「放送法を盾に受信料支払いを迫る憲法・刑法違反を繰り返すNHKと火花が散るのと似ている。
言いたくはないが、通信業において「完全なる顧客の」意志実現にはほど遠い。
勇気を出して何の得にもならない調査・研究を敢えてやってみたい方々を私は歓迎する。
直截に言って誰も話題にすることもなく、日本人・日本国が考えもしないところに何か究極の答えがあるように思えてならない。
SNS.....だろうか? PC通信か? 或いはLINEか?
各国でこれらが利用されてデモの連絡・テロの予告が頻繁に行われている事実は世界各国のたとえ「民主主義国」と言われていても自国民の命と財産を守るためには24時間体制で傍受解読されているのが否定できない事実なのだ。
日本人は「極楽とんぼ」である......
日米安保のもと在日米軍の軍事力に守られ....原油の輸入も心配なく...「優秀な製品made in Japan」を高品質で作り続ければいいのだから。
私はここに「私は十分にやった!」んだ。あとの責任と評価は「会社」と国だろう。と考える....カッコ良すぎる有能な社員があまりにも多い。
TVはほとんど見ないという選択をした友人がいる。
賢い判断と思う。
TVは画像と音声による強い情報伝達力があるが、一方で視聴者の積極的な思考力がなくて済んでしまうという利便性を持つ。
ただ見て聞いていればイイ。
楽だ。
操作された、誰かか何かに都合の良い情報が流されている。その危険性に気づきもしないで毎日TVをつけっぱなしにしていないだろうか。
TVがどの局もほぼ同じ内容の報道や解説になって来た時ほどchannelを選ぼう。
新聞は文字言語であるから「一応読んで考える」ところに一瞬の選択と思考の余地があるからまだよいが....