進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
-
興味のある方のみ
2021.01.08
-
「どこから話そうか..」は' Where do I begin?'であり小説の初めによく見る。
初めに申し上げるが、今を生きる私たちの思考は日本の古き良き時代からの伝統に基づくものではない。自分では気が付かないだけだ。
戦後の新憲法と押し寄せるアメリカの文明と物量をヨシとすることがすべての基盤として全員の脳にin-putされている。
いや...あなた個人でも私自身の責任ではない。
昭和20(1945)年以来そのように教育されて来たことだけは否定できない真実だ。
ゆえにすべての国内・国外の出来事をどう解釈するか...或いはしないか。その判断基準はその上に成り立っている。
今の価値観では「個人が最優先」だから「個人の権利が守られること」がすべてに優先するのが当然の世の中になった。
ただし憲法上・民法上にはfail-safeが付いている。
それは「....を認める。ただし公共の福祉に反しない限りにおいて」だ。
進駐軍の提示した英文の原書では「公共の福祉」を'..Common welfare'と訳している。
先の明治憲法(大日本帝国憲法)にも次のような記述があった....これは国民の精神・宗教の分野について。「信教の自由はこれを認める。ただし帝国臣民たるの義務に背かざる範囲において」だった。
今の我々はその守るべき範囲を自分と家族くらいに限定してはいないか?
いや、もちろんそれは当然のことで奈良・飛鳥時代よりも昔の弥生・縄文時代においてだってそうだったろう。
これは持論だが...日本の歴史をみるとそれはあたかも「己(個人)」と「公(社会・国)」のbalance(天秤)のようだ。
ある時代は「公」が重くなり、他の時代には「個」が尊重される。
大事なのはそのつり合いが「ほどよい」状態にあることではあるまいか。
日本各地のAmerican schoolsが教室にアメリカ国旗を立てていても何も抗議や反論もしないのに、もし日本の公立小中学校が「日本国旗」を教室に立てて授業をしていたらどれほどの抗議があるだろうか....特に左翼の方々からの異議や抗議は凄まじいものになるだろう。
アメリカは「愛国心」「国への奉仕」の心を込めて教員が授業しているのであり、軍国主義や右翼思想を子供たちに植え込んでいるのではない。
ゆえにたどり着く結論はただ一つだ。
今の日本は「己・個人」の重要視に傾きすぎているのではないか..という事実である。
これは日本の国力を弱体化さえしていることに何故誰も気づかないのだろう?
「町内会には加入する義務はないと思います。年会費は払いません」とか「地域の祭りには行くかもしれませんが設営の勤労奉仕を私に強要するのですか?」「個人情報ですから家族構成や電話番号を知らせる義務はないと考えます」....etc.
地域限定の実例で申し訳ないが、私は地元の伊東でやむなく「町内会の副会長」を引き受け2年間務めた。塾もあるし毎月26日にある定例会のたびにまる1日塾を休講しなければならなかったのは何としてもつらかったが...それこそ仕方がない。
でも今から思うと「やってよかった」。
普段...通りで顔を合わせるだけの人と夏祭りや防災訓練、どんど焼きなどの町内行事のために知恵を出し合い力を合わせた...
人と人とのつながりがこんなにも大事とは初めて知った。
戦前の「己をむなしくして公に尽くす」ほどの大げさなものではなかったが、自分にとってはかけがえのない2年間であった。
ここで終わればカッコイイのだろうが、私には忘れられない記憶がある。
それは長男・次男が小中学校に入学したとき...卒業した時のこと。日本の公立学校だから順番は変わっても必ず「国家(君が代)」斉唱がある。
父兄のほとんどは歌わない....なにかに抗議しているのか?教職員でも大きな声で歌っているのは教頭と校長だけだ。
そんなに日本人でいることがイヤなら、国籍離脱して...できると思うならアメリカのGreen cardを取ってみるといいだろう。
日本人として十分に守られながらこうした態度に出るとは私には理解できない。
「権利を主張して義務を免れる」
国民の多くがその矛盾に気づこうともしない国に将来があるだろうか?
皆さんのご意見を伺いたい。
重ねて申し上げるが....私は右翼でも軍国主義者でもない。
ただただ日本がこの後も栄えて、子供たちが平和と安全のうちに暮らせる国であってほしいと願うのみである。