進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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ビルマの竪琴
2020.08.18
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『ビルマの竪琴』(ビルマのたてごと)は、竹山道雄が唯一執筆した児童向けの作品。第二次世界大戦でのビルマを舞台とし、日本兵をモデルとしている。
場所は終戦間近の東南アジア戦線.....旧英植民地のビルマ。私は父・伯父が旧海軍だったから当時の日本陸軍の作戦・戦闘にはあまり詳しくないことをまず申し上げたい。
中学の1年か2年の頃に' Burmese harp 'を英語訳で読んだ。大変だった。初めは和訳しながら...そのうちに日本語と英語が頭の中でゴチャゴチャになり気が狂いそうになった。理解が難しい単語だけを日本語で理解して、感覚で英語のまま読んでいく...
誰の英訳本だったんだろう....?でも名訳だった。
この地で帝国陸軍が敵対したのは「英国軍・英植民地軍のインド軍」であった。我々日本人は75年前の戦争を対米のアメリカ軍との戦争だったと思いこんではいないだろうか?
西欧列強の東亜侵略100年を考えるなら...東南アジアはイギリスとフランスの植民地であったし、ジャワ・スマトラに至っては江戸時代に唯一日本の交易相手国であったオランダが植民地としていた。
近代日本史では太平洋戦争....so called ' The pacific War 'ばかりが強調される傾向にあるがこの東南アジア方面ではイギリス・オランダとの間の凄まじいまでの戦闘があった。
そのようなcontext...前提条件のもとにあるのが「ビルマの竪琴」と考えるとようやくこの時代のその状況がかろうじて理解できる。
水島上等兵(旧陸軍の階級についてはお調べいただきたい)は偶然にも音楽大学出の陸軍少尉に率いられる小隊に配属された。
水島は現地の「ビルマ語」がよくわかり現地人との交流ができた。音楽については天賦の才能があったらしく、特に竪琴' harp 'を奏でる才能に恵まれていた。
占領地の情勢を探るために....そう言わば「工作員」のようにビルマの各地を歩くことが水島上等兵に与えられた命令・任務であったのだ。
その行く先々で見たものは...川にあっては「水く屍(かばね)」奥地にあっては「草むす屍」の日本兵の亡骸だった。
水島上等兵は....彼なりに....錯乱してしまう。
ここまでしなくてはならない「戦争とは何だ!?」
多くの彼我の人命が失われて行くのなら......その代償は何なのか?
やがて8月15日の終戦になり、部隊は英国軍に投降。武装解除。
ところが水島上等兵は小隊にも部隊にも戻らない。
山河に朽ち果てるままに残された日本兵の亡骸を掘り起こしては埋葬しお経をとなえる。
じっと...ただ見ていたビルマの現地人もやがて水島の思いに同調して、ともに戦病死した日本兵の亡骸を掘り起こしては埋葬するようになった。
水島が肩に乗せてかわいがっていたオウムがいた。
オウムは意味もなく...人間の言葉を覚える。
小隊の皆は巡礼の旅をする水島上等兵を日本へ連れて帰りたい......
そのオウムに.....渾身の願いを込めてmessageを託すのだった。
「ミズシマ....一緒に日本へ帰ろう!」
オウムはその言葉を繰り返すが....水島は自分に与えられた運命を悟った。
私は詳細と言うよりは「ビルマの竪琴」の作品自体を多くの若い世代に読んでほしいと思う。
そのタマラナイ我慢と犠牲の上に今の日本があるのだから。