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伊東高校の思い出

2020.07.12

伊東高等学校 懐かしいわが母校

県立の伊東高校は戦後しばらくは「伊東高等女学校」で近隣の優秀は子女を集めていた。その後「伊東高校」となり男女共学の高校で普通科と商業科を併設する地元を支える多くの人材を生んだ...今の80歳代の方たちの世代だ。

さらにその後に県立伊東商業高校が開設されるにあたり商業科は廃止されて、現在の普通科のみ。

伊高(伊東高校の略で市民と卒業生はこう呼ぶ)が最も優秀だったのは1970年代で東大・京大と多くの国立大、私立6大学への合格者が続出していた。私の友人にも国立医大に進み2人が医師になった。他の一人は現在私立大学の教授である。

昔から伊高の良さは「自由な校風」で決してガツガツ勉強している風を周囲に見せない。
そんな奴は「ヤボ」だと友人扱いしてくれない....自由に自分の世界を大事にしながらも
勉強だけはしっかりやっているヤツが周囲から信頼され、また人気もあった。

当時はバイクに関してはまだ暴走族が凶悪化する以前だったから寛容だった。まあ今でも伊東というか伊豆はバス・電車の本数がすくなく何処へ行こうにもアクセスが良くない。

だから高校に入ったら学校に「バイト許可願い」を申請して、危険でなく学業にマイナスにならない程度だと認められるとバイトで資金を貯めて中古の50㏄..いわゆる原付を買うことが流行していた。

私も初めはホテルの皿洗いのバイトをやったが、お湯で宴会場の食器を洗うものだから1日で手の指紋が見えなくなり2日目でひび割れて血がでる...滑るからとの理由でゴム手袋の使用禁止。あとから入ってくる他校のバイトもどんどんやめていく。当時の伊東市内で一番時給が高いわけである...

8万円がたまった時点で「円満退職」。スズキのGA50という2サイクルのバイクを購入。
それからのバイトは....ホテルの社長のご子息とか資産家の家庭教師になったから経済的に高校生としてはゆとりができてありがたかった。

この家庭教師の給料で塾の月謝・バイクのガソリン・参考書・釣りの雑誌などをまかなっていたことを思い出す。

その後、大学で教職課程を取ったので教育実習は母校の伊東高校で2週間お世話になり「英語科」の授業を毎日ヒヤヒヤしながら教壇に立ったことも懐かしい。

その伊東高校も地域の少子化の波で地域の伊東商業・城ケ崎高校と3校が統合される予定で、新高校は現在の伊東商業高校の位置に新築されるそうである。

伊東高校が今の位置にある間に伊高生は最後までよく勉強したなぁ..と感心されるようにガンバレ!と言いたい。






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