進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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もう会えないだろう...
2020.07.04
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もう30年近く前になるのか...あの頃のホンコンは本当にHong Kongと書いたほうがよいくらいの独特な魅力があった。アヘン戦争の結果結ばれた南京条約で英国領とされたから、大陸中国が清→中華民国→中華人民共和国と変わってもホンコンには英国の国境警備隊と植民地軍が駐留していた。
日本がバブル景気であふれかえるころだった。友人経営の不動産会社で私の持つ法律資格で会社法律顧問になっていたから...「税金でとられるなら福利厚生費で社員に還元したほうがイイ」という今なら考えられないような理由付けをしてVIP待遇のホンコン旅行が企画された。
JALのFirst Class往復なんてあれが最初で最後だったなぁ。
CAのsmileもeconomyとこれほど違うとは...
当時は新空港は建設に入ったばかり。
終戦までに日本軍が作った啓徳空港(Kaitak Air Port)に着陸する。機会があるたびに言うのだが日本人パイロットの着陸はもはや芸術、神業に近い...乗客に負荷を与えないように車輪制動ブレーキを絶妙のタイミングで踏み、1秒の狂いもなくエンジン逆噴射で機体を止める。
何故か映画で見た通り車体が黄色いAmerican school busのような' Cat 'と書いてある連絡バスに乗る...トトロのネコバスを思い出す。
飛行機を降りてからの空港の混雑と言ったら殺人的だった。朝のラッシュ時の新宿駅以上だろう。日本人・韓国人・インド人・国籍がわからない西洋人...が押し合いへし合いしている。通路のエアコンはフル回転しているがあって無きに等しい。高温・人いきれ・酸欠で気が遠くなる...
その地獄から解放されて空港immigrationをでたときに出迎えてくれたのがMR.Lin..広東語通訳の林さんだった。現地では中国語でも北の「北京官話」と「広東語」は全く違う。揚子江(長江)をはさんで同じ中国人でも言葉が通じない。多くの日本人が中国語と思っているのは北の北京官話である。
広東語しか話さない香港人とのやり取りは林さん、英語を話す香港人との交渉は私が担当した。その1週間は刺激と驚きの連続だった。当時のホンコンは150年間のイギリス統治で持ち込まれたヨーロッパ文明と中国の混合した...そうexoticという英語がそのままあてはまる言葉の美しさを超えたものがあった。
Hong Kongでは何度も「オマエは日系のアメリカ人か?」と訊かれた。
「色」を表す英語のspellingでも言い合いになった..colorと書いたら間違いだという。
colourだよ!...とバカにしたように笑いながら言う。
長い間英国の植民地だと英語の発音もspellingも完全にイギリス式になるらしい。
そんな思い出を残しながら7日間のHong Kongの旅を終え、夕日の暮れなずむ啓徳空港を離陸するときに林さんと最後に交わした言葉を思い出した。
「ニシカワさんは、日本人だからわからないでしょう。近い将来に本国の中国に香港が戻るといっても不安ですよ...お金のある香港人はもうカナダやオーストラリアに逃げ出し始めました。私はできません...年老いた両親がいますから」
その後、私は林さんとAir-mailで...パソコンになってからはe-mailでやり取りしていたが遂に先月の末で完全に連絡がつかなくなった。
MR.Lin..林さんはホンコン民主派の活動家だった。
公安警察に逮捕されたのに違いない。
日々、林さんのために祈る...
もうこの世で相まみえることはないだろう。