進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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今日の駿河湾...
2020.06.27
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昔「釣りインストラクター」の資格を取る講習会でお世話になったSさんが御前崎からわがマリーナに来た...実はもう数回目なのだが、今回は特に極上の「マルイカ」を釣りたいとの希望だった。
「先週はマルイカ釣れました...究極のオイシサ。でも1杯(イカの数え方)で」とメールしたことが原因らしい...。個人の喜怒哀楽をSNSに載せて発信すると自分の意志とは関係なく周囲に波紋が広がることを再確認した思い。
責任重大だゾ!
まあ、釣りに興味がない人には「なんだ...それ?」になるだろうが夢にまで見る貴重な「マルイカ」を1杯でいいから何が何でも釣りたいという最前線の釣り人の執念..いや妄念たるや凄まじい....
ケンサキイカの子供がマルイカなのだが「雨イカ」というくらい梅雨時が「釣り時」だ。
刺身にすると身には「ほんのり」とした上品な甘みがある...これ以上の表現がない。
そのオイシサは言葉には尽くしがたい...母国語の日本語の中にズバリを言い表す形容詞がないからこまる....いや英語にだってあるはずがない。
ただ...Its taste is ' beyond description..' !とだけは言える。
和食は目で食べる.....
マルイカのお刺身。「げそ」だってネギ生姜で。
売っていないし、網で大漁になるイカではないし。
漁師も釣りfreakも...ひたすら明け方の一瞬をイカポイントに「一点全力を集中」する。
それで釣れなければ、またもう1年待てばよい。
人の一生の中に輝くようなchanceはそう多くはない。
マルイカとの出会いもそうだ....
Sさんはるばる御前崎から来たのに第一目標のマルイカはダメ。
第二目標のキアジは淡島周辺で「まずまず」釣れたようだ。
船を片付け終わった折の「尺ギス」の話にSさんと別れ際に盛り上がった。
NSSでは「大ダイ」や」「ブリ」...落とし込みの大ヒラメの話ばかりが流布される傾向にある。
誰がそうしたんだろう....?
「社会のそれも特定+限定の社会であっても大多数の幸福=個人の幸福」ではない。
なんだか...最大多数の幸福というと経済学者の英国人アダム・スミス・を思い出すが。
実のところ私(西川)にとって「尺ギス」いわゆる' hijitataki'「ヒジタタキ」という言葉は半世紀..50年の昔に連れて行ってくれる懐かしい言葉だった。
「尺ギス」と言っても、いま何人が実体験として理解しその感激と感動をともにしてくれるだろうか.....
私が小学生の頃の千葉県外房の御宿+勝浦には、本当に信じがたいシロギスの大物が普通にいた。「ヒジタタキ」と言う語は、釣り上げたときに本当に「キスの尾びれがヒジをたたくほどの巨ギスだった!」ということだ。
Sさんは牛臥の沖から我入道の海岸にはいまだに「ヒジタタキ」がいるハズだから研究してみる価値はあると言う。
まだ誰も手を付けていない分野だ.....ここに足を踏み入れることは同時に「キアジ」「ブリ」「カンパチ」を捨てることを意味する。
苦しい選択ではある....
祖父や親父と行った外房の御宿・勝浦の尺ギスを思いだすためにもやってみるかな....
自分にとっては何か江戸時代の「宗門改め」に臨む気分だ。