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江戸の仇(かたき)を長崎で...

2020.05.17

雨の土曜日で釣りも庭木の手入れもできない..Stay Homeの一日。

ボーっとしていたらもう40年も前のある日の1コマを思い出した。

それは東大...で勉強していた各国からの国費留学生が年に1回盛大に行う「東大留学生祭」の一日だった。東大とば「東京大学」のこと..かつての帝国大学で江戸時代には昌平黌と呼ばれ幕府を支える人材教育の場だったところだ。

後にも先にも私が東大の「赤門」をくぐったのはこの時だけだ。先日鬼籍に入った旧海軍航空隊の伯父は予科練の受験の時にやはり赤門をくぐって海軍省の試験を受けたそうだ。

おっと..アブナイ。また前置きがそのまま本論になりそうで失礼。

私は当時まだ20代の初めだった。何もわからず、本と学校で勉強したこと...そしてわずかばかりの社会体験だけで半ば世の中のすべてはもうわかったような気がしていたから「おおバカもの」であった。

私はそのころに外国人の友人と言えば99%がアメリカ人であり、半分は在日米軍であとの半分はキリスト教宣教師とその家族ばかりだった。

純粋に「日本を愛して」「日本の歴史と文化を理解しよう」とする...何というか英語で言う..studiosな外国人を知らなかった。

偶然に伊東市役所からの依頼で伊豆シャボテン公園の案内と通訳を頼まれた。まだ当時は伊東市に民間ボランティアの通訳会はなかったから、個人的に時折にこういう話が舞い込んで来た。

それまではこの手の話はお断りしていた。それは市役所を通じてくる話は一般の民間人の外国人ではない場合が多かったからだ。大使館がらみの観光案内の通訳がおおかった。

あの頃に忘れ難い事件と言うか「出来事」があった...まだ私が23の歳だった。

例によって市役所から話があり「外国人の一行を大室山とシャボテン公園に案内してもらいたい。一行はアルゼンチン大使とその家族です」という。「スミマセン...ボクは英語しかわかりません。アルゼンチンはスペイン語が公用語と思いますが」と言うと、いやダイジョウブ。大使も家族も全員が英語を話すと聞いています..との話。

折しもその日イギリス人の女性の友人が東京から伊東に来ていて、偶然にも同じ時刻に「シャボテン公園」に来た。私に会いたい...と言う。

私も若かったし..まあ市役所から頼まれた大使の方は早めに大室山のリフトで「お山」に上げてしまえばあとは美人のMs.Rと何か美味しいものでも食べようか。

そう本気で思っていた。

思っていたら...悪魔の仕業か...

大使一行をシャボテン公園の中を案内中に...向こうから歩いてくる彼女と会った。
おおい....よしてくれ!

This must be a dream..... Night mareはコワい!
これは悪夢に違いない

「会ってしまった!」と言うのが本当のところだ。

彼女から声をかけてきた。

この英国人の「微笑み」は世界史を変えてしまうくらいコワい。この瞬間を想像して見て頂きたいものだ......cf. Honkongもそうだった。

私が見慣れない西洋人グループと一緒にいるのを見て不審に思ったらしい..

西洋人の女性は「目」には気持ちがstraightに表れるからコワい。
明らかに「だれ?この人たち...」と思っているナ...

たのむ、違うんだ!

I'm begging you....(たのむから...)

私は..They are...と紹介しだしたが、足元がフラフラして言葉が見つからない。
古い言い方なら「青天の霹靂(へきれき)」だ!

絶体絶命。

ウワッ.....バカじゃないのか「オレ」!

まさにそのころアルゼンチンとイギリスは大西洋に浮かぶ「フォークランド諸島」の帰属をめぐって戦争状態だった。

アルゼンチン空軍が放った空対艦ミサイルでイギリスの駆逐艦だか空母が撃沈されたというnewsはその前日であったのだ....

だから日本人はいつも対岸の火事でしか世界を見ていない...極楽とんぼなんてAmericanに言われるんだ!

隠すわけにもウソを言うわけにもいかないから...

若き西川は「言葉につまりながら..」双方を紹介した。その危うさと心細さをご想像いただきたい....

本当にアルゼンチン対イギリスの殺し合いになるのではないか...と瞬時に最高の心配をしたが、アルゼンチン大使は紳士だった。実際のやり取りの英語は覚えていないが。

「..お互い随分遠くの日本で会いましたね」という意味の挨拶を彼女に言ったことを覚えている。

その温厚な言葉にどれほど救われたか...

あとで東京に帰ったMs.Rから電話「Samuel...随分あせったでしょう?私もチョッと驚いたけど」と言っていた。

彼女はその後イギリスに帰国して勉強と経験を積み弁護士となって活躍している。

Sam...You know that we have two systems in Law in England.American have only one ' lawer ' but we have a system of solicitor and barrister.

「サム(私の英名)、知ってるでしょうけどイギリスには2つの法律家の制度があるけれど、アメリカには1つしかないの。アメリカには法律家と言えば'lawer'(弁護士)だけだけれど私たちには'solicitor'(事務弁護士)と'barrister'(法廷弁護士)の2つがあるのよ。

因みに私は大学で同時に法律も学んでMs.Rのいう' Solicitor'の日本版の資格を持っているから彼女とは本当に分かり合える友情の関係であった。

イギリスとアメリカの法制度の違いは大学の「法学」や「法律概論」の講義で学んだがまさか実際の友人関係のなかで具体的に体験するとは思っても見なかった。

神さまはイジワルである。

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