進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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アブナイ...供給過剰
2020.05.11
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書き始めて本当に自分のblogは面白くないなぁ...と実感する。キラキラしたまばゆいInstagramもやっていないし、釣ったサカナを材料にした調理師やchef顔負けの料理もできない。まさに自覚する...
「ニシカワ君のblogねェ...まるで大学のreportだよ。でも全然ブレないから安心して読めるよ」「お気に入りに登録して毎朝通勤の電車の中で読んでます」なんて言う大学時代の友人からのmessageに励まされている。
まあ...本当にイヤならワザワザこのblogを探して読みはしないだろう...と一方で安心もしつつ蛮勇をフルって以下を書いてみたい。
どの時代...どんな国でも「国内の生産力が増して....製品があふれる」状態がアブナイ。
経済学では「需要」と「供給」のバランスが均衡点を作り価格が決まるというグラフで説明がされ、大学他学部の一般教養の学生は「ウーン...そうか!」と納得する。
問題はその先にあるんだヨ!と経済学部の学生は叫ぶ。
「供給」が過剰になったら...「需要が一定」とすれば均衡価格は限りなく下がっていく。
それでは生産している側は困るのだ!
もし「利益を維持」でき得るなら拡大したいと考えれば....新たな需要をどこかに探すしかないだろう。
歴史を見ればこれがどれほど危険か理解できる.....
イギリスで始まった産業革命の結果、それまでとは比較にならないほどの様々な「工業製品」が生産された。国内の需要には限りがある。
ではどうするか...
新たな販路(需要)を求めて外国を....海外に探すことになる。
その輸出の商船隊を護衛するのは海軍力であり、制海権を持つ国が貿易を独占して巨大な利益を生むようになった。
これがかつてのヨーロッパ列強がアジア・アフリカの弱小国に行ってきた「自国・本国」を豊かにするために軍事力を背景にうむを言わさぬ外交と軍事、その上での貿易が混合する「帝国主義」の時代だったのだ。
Hostory repeats itself...歴史はそれ自体を繰り返す。
史学科の講義でも英文科でもこの言葉は何回も折に触れてテキストや資料で出会った。
そのくらい過去の歴史のなかで確認されて来たのだろう。
ここで言うのは「製品」「技術」「エネルギー」が国内で供給過剰になっている状態の国は生き残るために新たな需要を求めて考えられる以上のことをする可能性があるということである。
もう..おわかりであろう。
現在、国内の需要を遥かに上回る「供給過剰」になっているのは中華人民共和国だ。