進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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メディアもウソ....
2020.04.27
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混んでいるように見えるが...
これはあるメディアが「自粛要請」し「3密を避ける」ように国から東京都からは特に徹底したハズ....でもこれはどうしたことか?...として先日4月20日に「混雑する吉祥寺商店街のいま」として写真付きで配信したニュースである。
「フーン..吉祥寺にはこんなに人が出ているのか。じぁあ戸越銀座の人出も本当なんだな...何がコロナだ。さあ出かけよう!」
視聴者・読者がそう考えたとしても不思議ではない。
ところが...「この日・この時」実際の吉祥寺商店街は閑散としていて「通常の3分の1」くらいという真相が判明した。
メディアが「コロナ..コロナと騒いでも人は集まる!」というあるメッセージを強調したいがために使ったのが「撮影特殊効果」なのだった。
それは望遠レンズの撮影効果によるもので、カメラ初心者の私にもわかるごく単純な撮影効果だ。私だってこれくらいはできるゾ!
50㎜(人間の肉眼で見るのと同様の画面になる)の標準レンズで撮影するところを、離れた場所から135~400㎜の望遠レンズで狙うと「横の撮影要素をギューッと集めて」撮影ができるのである。
近頃のスマホはガラケーのころに比べて格段に高性能のカメラを搭載しているから、ほとんどの人は「カメラの撮影技術」なんて考えもしない。
今回の「吉祥寺商店街のフェイク画像」はそんな人たちなどわからないだろう...と人の無知を逆手に取ったトンデモナイ...そして人をバカにしている犯罪行為だ。
もし誰かがこの事件を検証してこのメディアを訴えたら、確実に「報道の自由」「表現の自由」を盾にしてそのメディアは「応訴」してくるであろう...腕のいい顧問弁護士がいるから、ここぞというばかりに反論して...或いは「意図的な業務妨害」で逆に訴えるだろう。
自社の利益だけ守ればなんだってアリ...という逸脱した愛社精神には困ったものだ。
個人対メディアの力関係なのだ...民事でも刑事でも訴訟で勝てるわけがない。
「訴訟上の利益」と民事訴訟法は規定するが「その訴訟に勝つことで得る利益」あるいは「その訴訟を起こす目的に社会通念上の利益」があるか?
おそらく...延々と数年間も裁判に時間がかかり、その期間は双方が自己の主張を正当化できるだけの写真・証言・データ化できる数字を集めるのに必死になる。これがどれだけ科学的で誰も反論できないだけの「証拠力・証明力」があるか...
それが裁判官において「疎明」(一応、まず正しいだろう)することができるか否かに民事訴訟はかかっている。
そこまでの苦労と時間とお金をかけて、メディアを相手に訴訟に踏み切るか..になる。
健全な民主国家のメディアは新聞・TV・雑誌..すべてが政府の実行する「政治を見張る」役割を果してきた。過ちを指摘された与党たる政権は大いに反省し以後に「過ちなきよう」貴重な意見として役立ててきたものだ。
今はどうか....
視聴率や購読者数がすべてだ。
その果てには注目を浴びようと...真実を伝えるメディアの使命を忘れてしまったかのような「フェイクニュース」を作り何の躊躇もなく伝えているではないか。
しらっとして真面目にそれを行なうのがNHKだから本当に困る。訂正すらしない。
それどころか..メディアは「世論を作り出して..ある一方向へ」導く原動力にさえなっているから注意したい。
ヨーロッパの中世にも魔女狩りがあった。
それは本当に、この世界をサタンの手から守りたい...その為に聖なるカトリック教会が魔女を探し出し「裁く」のであった...とされるが本当はどうか?
かつての大戦前から日本が大陸に建国したあの「満州国」はどうだったか?王道楽土を建国の理想として日本の本国では実現しえない理想の国を作ろうとしたのではなかったか?
本来ならば本国において、実社会において、個人の中で...こそ解決しなければならない問題であるが極めて解決の難しい問題がある場合に、人はその代わりの努力目標を探し当てる。
これは心理学では「代償規制」と呼ばれるものであり、広義には国から順に..団体..社会..個人と代わりの努力目標を探して...本当にそのための美しい努力をして自分で気が付かない。
繰り返すが..NHKでさえウソをつく。
TVの民放など「視聴率が命」だから、その目標のためになら法に抵触するかどうかのギリギリのことなんて日常的である。
悲しいが「人間は暗示に弱い」。
新聞・雑誌ならまだ「文字」だから批判的にも読める。ゆえに「読まない」抵抗だってできる。
でもTVは「見る・聞く・読む」の3つの感覚世界に訴えた「ニュース・情報」の伝達だからその宣伝広告powerは凄い!
何となくTVを特に見たくもないのにつけっぱなしにしてはいないだろうか?
無意識のうちに脳にはいる情報ほどコワいものはない。
TVはBGMではない。聞くともなく訊いていた「こと」が無意識に自分の中に刷り込まれてはいないだろうか....それがsubliminal効果だ。
これは他のいかなるメディア(新聞・ラジオ・雑誌)も及ばない力をTVは持つ。
そのSuper MediaたるTVには十分に気を付けよう..
悲しい現実ではあるが、今の日本では情報の渦に巻き込まれずに自分を見失わないことが本当に大事になった。
あなたが属する小さな「趣味のグループ」にでさえこの傾向は現実化してはいないか。
世論・大衆に迎合して行けば楽であるかもしれない。「摩擦なく」地域でも会社でも生きていくうちに「自分がなんだか?」分からなくなったらおしまいだ。
「自分を見失わない努力」を続けてほしい。
かつてから言うマスコミ、今で言うメディア...はことによると日本人から「個性」を奪い「周囲と摩擦を起こさない」だけの毒にも薬にもならない人間を理想像として精神的な切り崩しにかかっているのかもしれない。
私は負けない....
父や伯父が言っていた「最後の1兵になっても...」とはこのことか。