進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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日本軍を襲ったカラス
2020.04.11
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まず海南島(中国音:ハイナンタオ)の地理的な位置を見ていただきたい。フィリピンの遥か西、香港のさらに南に位置していてベトナムに近い台湾に匹敵するくらい大きな島。
その海南島にある波静かな「三亜湾」(picture 2nd.)は風光明媚な亜熱帯の美しい海であるが、かつては日本陸海軍の戦闘艦や輸送船が常に停泊する港であった。
それは日中作戦に呼応して海南島を占領した日本軍の陸海軍が昭和12年~20年の終戦まで守備隊を置いて駐留していたことによる。
私は父や伯父の関係であの太平洋戦争(大東亜戦争)を生き抜いた旧軍関係の方々と子供のころから会う機会が多かった。
そのなかで、たった一つこの「海南島」の話は父・伯父には全く関係のないところで、私がまだ20代の若いころに聞いた話なので余計に記憶が鮮明に残っている。
話をしてくれたのは仮にKさんとしよう。旧帝国陸軍の少尉だ。
とすると陸軍士官学校卒のエリートだったのか..一般の大学卒で志願したのか、確かめることさえ失礼と思った。流暢なBritish Englishの英語を話したから早稲田か慶応あたりの英文科卒だったのかもしれない。
当時すでにKさんは80歳の後半で豊かな白髪、お歳にしては背が高く彫りの深い顔立ちの紳士であった。英語通訳会で偶然に知り合ったのだが、孫ほど年が離れている私の話を本当に真摯に聞いてくださったからとても嬉しかった。
その話のなかで「私の一番上の伯父は関東軍の将校だったので終戦後はシベリアへ送られました。ラーゲリです」と言うと...
「伯父上はご苦労されたましたね。私は旧陸軍の少尉でした。支那の南にある海南島の守備隊でした..」と当時の思い出を話してくださった。
以下
「...海南島にはどうしたわけか終戦前年くらいになっても米軍は上陸してこなかった。まあ「戦略的価値」と言うんだが大きな犠牲を払っても上陸作戦を実行する地域とそうでない地域がある。沖縄は命がけで取っても、あんな南の果ての海南島なんかに上陸しても意味がないと米軍は判断したらしい。
...でも南シナ海~東シナ海には米軍の潜水艦が出没しては日本の貨物船をみんな撃沈してしまう。そう魚雷ですよ。夜だと発射された魚雷が海中に白い雷跡を描いて船体に命中する直前まで見えるから怖い。
本当に入港前夜くらいに沖で味方の船が沈められるんだからあんなにアタマにくることはないよ。だから食料・物資が不足・欠乏して本当に困った。
私は分隊を率いていたんだが、自分も含めて若い兵隊たちが食料不足でいつも腹ペコなのでなんとかしなければと責任上考えたんだったなぁ。
めまいがして動けなくなるような空腹って、西川さんは体験がありますか?
無意識のうちに父に教えらえたように「直立不動」の姿勢をとる。
(若輩の私に敬語を使われるその礼儀正しさに私は恐縮した...まだそういう時代)
海南島には無数のカラスがいてね。いつもカァカァとうるさい...。
そうだ、あのカラスのねぐらを突き止めて「タマゴ」をいただこう!と思いついた。
そしてある日の夕方にカラスの群れが引き上げる方向に「ねぐら(営巣場所)」があると見当をつけた。
翌朝(払暁)に部下を率いて小隊で出動。もちろんゲリラに備えて武装を命じた。
まさか出動がカラスのタマゴ集めとは言えないから「抗日ゲリラ探索」のためと報告。
その途上でタンパク源の補給ということ。
丘の木の上のあちこちにカラスの巣を見つけた時には嬉しかったなぁ...早速部下に命じてカラスのタマゴ獲りを開始。
昼間であったし、カラスたちはエサの調達で海岸に出払っていて留守だ。
我々は安心をしていたが、敵もさるもの....だった。
ひときわ高い木の枝に当番兵のように「カラスの見張り」が一羽いた!
動物や鳥でも集団で暮らす奴らは軍のように「当直」がいるんだね。
オレはね...国民党軍やゲリラの待ち伏せにあったことは何度もあったが、あの時はそれと同じように「背筋がゾクッ」とするようなイヤな気がしたなぁ。
その当直カラスが自分の小隊が「タマゴ」を集めだしたのを見て、何とも言えないような不気味な鳴き声で「連呼」をしだした!
「おおい!急げ、カラスに気づかれたゾ!」
すると...数分するかしないかのうちに、あちこちから数百羽いたんだろうか...カラスが集まってきた。そうだよ、南の空が暗くなったからねぇ....
無数に見えるカラスの大編隊は大騒ぎをしながら我々に向かって飛んできた。
奴らは次々と急降下してきては、我々の頭をつつき、顔をひっかき、羽をばたつかせながら殴り掛かってくる...畜生!チクショウ!
この野郎!と振り払うんだが「数は力」だよ。
あの時初めてわかったんだが、大きな鳥は戦うときに羽..いや「翼」を腕のように振り回して相手を殴るんだなぁ。これが結構痛い。
頭もかばおうとした手も血まみれだ!こうなると少尉も二等兵もない....
部下があちこちで叫ぶ...
「小隊長!カラスです!」....「小隊長殿、やられました...」
「応戦させてください!」
「バカもの!カラス相手に銃を撃てるか!」
あんなに恐ろしいと思ったことはない。
応戦も発砲もできず、大きなカラスにつつかれ負傷するのみ....
「退避!総員退避!」と叫びながら小隊長の自分も全力で走った。
ころんで起き上がるところをまたやられる...
バカヤロウ!鳥のくせに!と叫ぶ。
奴らは高度をとってから急降下してくるから「痛い」なんてものじゃないよ。
わが軍やドイツの急降下爆撃機かそれ以上の技量だと思ったな。
速度が速いが照準は正確だ...
「うわっ!やられた...少尉殿!」軍曹が叫ぶ!
途中で軍帽を鉄かぶと(helmetのこと)にかぶりなおすよう命じた。
私は...せっかく獲ったカラスのタマゴも投げ捨てて駐屯地まで命からがらたどり着いたんだ。
カラスの大軍(大群)は駐屯地の正門まで追いかけてきた。
門に立つ衛兵が2人とも空を見上げて驚いている...
「全員、軍医に診てもらえ!」と命令しながら兵舎に駆け込んだ。
屋根があることがこんなにもありがたいことだと思ったことはなかったよ。
全員が衛生兵に傷を消毒してもらって両手に包帯..まあ名誉の負傷だな。
あとで部下が命がけで持ち帰った残りのタマゴはゆでて食べたなぁ...
分隊一人二個ずつ。
味?....いやあ忘れたよ。
部下も言っていたんだが、カラスに向かって発砲もできないし、実戦の方がまだよかったと本気で思った。
戦後に内地へ復員して思いだしても戦時中で海南島のカラスが一番怖かったよ...」
だから今でもカラスを見ると私はKさんを思い出す。