進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     | 日記 | May かCanか

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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

May かCanか

2020.04.09

もう30年以上もあちこちで英語を教えてきた。教える生徒は日本国籍の日本人である。
教える私は外国人の教員たちからはJTE(Janapnese Teacher of English)「日本人の英語教員」と呼ばれる。彼らはALTだ。

少し変な言い方で恐縮であるが「英語・英語圏から見ると我々日本人は外国人」である。

だから私たちが外国人を見るときに「何かヘンだな」「何かが違うな」と感じるのと同様に向こうもこちらを「ヘン」と感じている。

これが実際に英語を教えているとかなり注意して取り組まなければならない問題になってくる。国の文科省は何とも言わないし指示もしないから...ズルい。

May I....?(私は....してもよいですか?)
Can I....?(     〃        )

具体例として実際にはいろいろあるがまずここだろうか。

上記の2文はともに「(自分が)...をしてもよいか/よくないか?」を相手に尋ねているのだが言葉の意味の持つ歴史の前提条件が違う。

May I ...?はあたかも(南北戦争以前のアメリカ南部で黒人奴隷が白人の農場主に「(ご主人様)私は...をしてもよろしいでしょうか?」と尋ねる場面をかなり強い勢いで思い描いてしまうとAmericanは瞬時に感じるのだそうだ。

身分差別...を想起する用法と彼らは考えている。日本人には感じられない。

だからAmericanの多くは...' Can I....?'を使う。

Can I...?なら相手と自分は同列であることを前提にした言い方だから。
「ご主人様」と「奴隷」を認識しないですむ。

困るのは英語を外国語として教える立場にある英語教員だ。

私は多少時間がかかっても双方を教えることにしている。

英語なのか世界史の授業なのか微妙な授業になってしまうが「言語」にはそれを使う国の歴史と文化が込められているのだから仕方ない。

母国語でも外国語でも「ことば」を大切にする人は相手を大切にする。

逆説は敢えて言わないけれど...




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