進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
-
撃墜される特攻機...
2020.03.29
-
これは特攻の技術的な話だ。
とにかく反戦。憲法9条こそ大事。戦争は考えたくもない...
私だってそう思いたい。
でも....事実をどうやって否定できるのか?
と考える...。できるなら教えていただきたい。
否....考える前にそう「感じる」人はここでお別れした方がいいだろう。
燃料も底をつき、戦える兵器もなくなっていく中で本土はB-29の空襲と艦載機の機銃掃射で親兄弟・親戚・友人が毎日殺されていく....
限られ追い詰められた果ての「特攻」だったのだ。
92歳になる伯父は絞り出すように語った。
「.....もう昭和20年の終戦の年になると敵と五分五分で戦う満足な作戦なんてなかった。
作戦と言えば「特攻」だったよ。
しかも速度の出る最新鋭の戦闘機は本土の防空隊に割り当てられていたから、特攻に使えるのは旧式の戦闘機や急降下爆撃機、雷撃機だっんだ。
オレは海軍航空隊だったから見ていたが、ゼロ戦でも21型(開戦初期の)とか末期には練習機まで爆装して離陸していった。
初めは120キロ..やがて250キロ。最後なんてどうせ撃墜されるんだからと500キロの爆装だった。
もともとが敵の戦闘機とやりあう「空中戦」用に小回りがきくように限界まで軽量化した機体だもの...爆撃機じゃあるまいし「重い爆弾」を縛着したら沖縄まで飛ぶだけで精いっぱいだ.....お前にそれがわかるのか?」
大体、九州の鹿屋基地を滑走路一杯に使って(機体が爆装して重いから)スロットル全開でやっと離陸しても奄美大島上空まで行けばもう敵の哨戒圏だ。敵は駆逐艦やもっと小型の駆潜艇に対空レーダーを甲板に積んで限界まで九州に近づいて特攻機の接近を見張っているわけだ。
これは戦後の米軍資料によれば' the rador picketing boats'(レーダー哨戒艦)と呼ばれていたようであり、特攻機を発見すると沖縄沖に展開する米機動部隊に即座に無線連絡を行っていたそうである。
特攻隊はその哨戒艦に気づいても目標は「空母」であるからそのまま高度3000mを保って沖縄本島沖へ接敵。
第一波として無線連絡を受けて空母を発艦したF6(ヘルキャット)FUF(コルセア)戦闘機が襲いかかってくる。
高度の優位を保って日本機より1000mくらい上空を「トンビのように旋回」しながら待っているんだからたちが悪い。
今は知らないが、当時の戦闘機のmanualには「高度の優位=速度の優位」とある。
1000mの高度差を狙い定めてから急降下。
左右主翼の14mm機銃をフル掃射しながら突っ込んでくる。
特攻機の半分はここで撃墜される。
直掩(特攻機を護衛)のゼロ戦もここまでが限界で1~2分の空戦で鹿屋に引き返す。
残存する「特攻隊」は沖縄本島沖を目指す。
機動部隊の輪形陣を目視してから急降下....敵のレーダーと対空砲火を避けて海面スレスレの超低空飛行をする。
目標艦の手前で急上昇するが...誰も言わないがこれは「突入効果」を高めるためだ。
ところが、ここで敵の対空砲火...その多くはボフォース40mm機関砲だった...にはVT信管が取り付けられていた。
これは当時直撃弾でないと飛行機にはあたらなかったことから「至近弾でも損傷」を与えたいという目的で開発された対空砲技術であった。
すなわち飛行機の機体それもエンジンの熱を感熱して爆発するようにプログラムしてある
対空砲の40mm弾であった。
米軍資料で' magic fuse'と呼ばれるものがコレだ。
特攻機に命中せずとも機体とエンジンに損傷を与える...操縦不能になればさらに対空砲の命中率が高まる。
それが米軍の企図するところであったのだ。
だから記録filmで見ていると...目標を定めいったん高度を取ってから突入してくる特攻機のほとんどが対空砲火にあたり無念の撃墜となるわけである。
フィリピン沖で、関大尉らの初回特攻が大成功をおさめ貴重な艦艇を失ってから、米海軍も研究に研究を重ねていたのである。
戦争なんて絶対に映画のようにカッコイイものではない。
親兄弟・親類・友人・知人が死んでいくのだから。
でも、その事実が過去に厳然としてあったにもかかわらず..遠い過去の歴史のように今の自分にはかかわりないと考えるのではあまりに非人情ではないか。
忘却は贖罪につながるのか....
フラップを下げスロットル全開で突入する特攻機。おそらくゼロ戦21型。