進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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特攻...命令?
2020.03.25
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伯父に聞いた..訊いた。
本当はどうだったのかを知りたくて、自分が中学生だったころから何回かだったが、学校の歴史の教科書でも授業でも「太平洋戦争の被害・広島長崎の原爆・アジア植民地での日本の統治の事実」を教師が淡々と述べるのみ....あとはキミたちが考えなさい、で終わることをずっと疑問に思ってきた。
ここで言っておきたい。
私は右翼でもないし狂信的なグループにも属してはいない。だから戦前のものも言えない検閲と圧迫の時代にだけは日本を戻してはならないと思う。
ただ...祖父・父・伯父(叔父)がそんなに悪人だったのか?
これは自分が小学校のころからずっと心の奥底にあった「生涯をかけてでも証明しなければならない命題」でもあったのだ。
先のblogで言及した伯父は熾烈な試験を通って霞ケ浦(土浦)の予科練に合格。海軍航空隊に配属された。
1945(昭和16)年に日本海軍の機動部隊によるHawaii Oahu Pearl Harbor奇襲に始まる日米の太平洋戦争は主に「国内工業生産力の差」「暗号電文の解読」によってMidway作戦の敗退以来加速度的に劣勢に追い込まれて行った。
Saipan,Tenian...のMariana諸島が守備隊の善戦虚しく占領されると、Sea Beesと呼ばれる「米軍設営隊」によって当時の最新の建築機器を総動員してアッという間に「B-29用の滑走路」を完成させた。
護衛につく戦闘機もグラマンF-16( Hell Cat ) とP-51は最優秀の機種だった。
こうなると、日本全土の都市は連日のようにB-29の空襲と戦闘機の機銃掃射で民間人の死傷者は急増して行くばかりだった。
そんななかで...
すでに昔日の「連合艦隊」はなく、陸海ともに敵(America)を打ち払い国民を守る決定的な作戦もない....状況。
日本周辺には米潜水艦がいた。南の内南洋からも北の満州・朝鮮からも燃料・資源を輸入できない。貨物船・輸送船はことごとく魚雷攻撃で沈められた。
そうした中での特攻だったのだ。
「特攻は作戦の邪道だ」...と当時の軍人の中にも言う人がいる。
その通りである。
軍だって人間の集まりだ。
どんなに危険な作戦でも「将兵の生還の道を確保する」ことが最低必要限度のlineであったはずだ。
特攻はそれを越えている....
「必ず...死んで来い!」というものだったから。
日本各地がB-29の空襲と戦闘機の機銃掃射で親兄弟・親戚・友人たちが逃げまどっている状況であった...
その中で「限られた機材と燃料」で最大の効果があるのは...と考えられたのが「特攻」だった。
伯父は、日本の状況を知らされ「この国難を救うために一命を捧げようと思うものは一歩前!」と上官に言われて全員が「一歩前」の志願をしたと言った。
志願か強制(命令)か?
伯父は「...あの状況だ、どちらも同じだ。そんなことがあの時にどんな意味を持ったか?」と言う。
どんな本が...どれほど著名な作家がこの瞬間を書いても私は伯父の一言を信じたい。
戦後の平和憲法のもとで作られた歴史の教科書はこういった部分には全く触れない。
「平和...平和...平和」+「戦争は悪!」
これの繰り返しだ。
「一喜(私の名)....オレはね...自分がどうなっても家族や友達を救いたかったんだよ」
伯父はこういう国難の時代に生まれた。
そして全力でできることをした。
戦後の平和の時代になってからは何とでも言えるだろう....
批判とか検証だけで国家の行く末を決められるのだろうか?
今の平和と日々の生活は260万人の犠牲の上にある。
その御霊(みたま)に心から頭を下げられるか否かに...日本の未来がかかっている。
U.S.Army Camp Zamaにて....
