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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

祝 聖主御降誕

2019.12.25

皆さまChristmasおめでとうございます。

「祝 聖主御降誕」は韓国のChristmasの時に現地の教会で見た。

「江華島事件」で日本とは歴史上火花が散る..あの江華島聖公会である。

訪問したのはクリスマスだったか。寒いので熱い「人参茶」をふるまってくださった。

お若い韓国人の司祭さまとは共通語が英語...「お互いにAsianなのに英語で話すのはヘンな気持ちですね」と語ったことを懐かしく思い出す。

漢字の文化圏であることを北朝鮮との国境近い江華島の古教会では、様々な意味において認識させられた...その新たな驚きでもあった。

Christmas...クリスマス...聖主御降誕....

言葉は違っても同じ意味である。

Christmas(クリスマス)とはいったいなんだろう?

Christmas...クリスマスは「事実ではある」

2000年も前に実際にこの世に生まれ、エルサレムのゴルゴタの丘の上でローマによって十字架にかけられ処刑された...

これはローマ帝国の歴史資料によって確認される事実なのだ。

ただイエス・キリストを旧約聖書に書かれた予言者の言葉の通り「神の御子」と信ずるか...新約聖書にあるように「この世を照らす光」と思えるか...私をも照らす光なのか?

そこでキリスト教徒・キリスト者・クリスチャン・Christian...かそうでないかがわかれるだけと思う。

私は誰にも..自分の塾生にさえも何かの信仰を勧めたことはただの一度もない。

勧められ強制された信仰などニセモノだ。

しかし、私が生まれてこのかた我が身に起こった事....それはとても偶然とは思えない奇跡としか言いようがない、これでもか...これでもか..と言うほどの。

そして「イヤでも」否定しがたい事実の数々だった。

神さまは意地悪である。本当にイジワルだ!

最早...人智をこえた、まるでどこまでも透き通る真冬の夜空の星を見ているような思いに満たされた。

私は自分がこの世にあるのもただの偶然ではないと感じたことを思い出す。

くりかえすが、若いころの私はトンデモナイ自信過剰の自分のためになることしか考えない大バカ者だった。

だから「クリスチャンなんて弱虫だ。敗北主義のヤツラめ!」としか考えていなかった。

その頃の私はひたすら勉強し...倒れるほど血を吐くまでに勉強していた。

それは今から思うと、そうしなければ不安で死にそうだったからと思う。

そして、どうしようも無くなると大酒を飲んでは暴れていた。

でも何故かわからないが。

...その果てに私は英国の教会で洗礼を受け信徒となった。

洗礼式に臨んでいただいた名前はSamuel(サムエル)。

仏教では死後に戒名という仏さまの弟子としての名前を新たに僧侶からいただくが、キリスト教では洗礼式で教会から洗礼名..ローマカトリックでは霊名をつけてもらう。

両親が信徒なら生まれて40日目くらいに所属する教会で「幼児洗礼」を受ける。
成人に達した求道者(迷える羊)が決心すると本人の意志による「洗礼式」が行われる。

この洗礼式は通常教区教会(Parish Church)の司祭が行うが、意外なことにかつての映画「God Father」の名場面で有名になり日本人のファンにも知られることとなった。

因みに..God Fatherとは「洗礼の時の名前を付ける名親」のことである。
よくこの字義通りに解釈して「神父」と考えている方も多いから気をつけたい。

神父(カトリック)=司祭さま...である。

英語では..Preist(プリースト)と覚えて頂きたい。

ギリシア語では難しい「プレスビュテロス」だ。私はギリシア語教育を受けていないので文字で表記ができない。

私の洗礼名であるSamuelとは旧約聖書にある「サムエル記」からGod Fatherが選んでつけてくださった名前だ。

その名の由来は「神の声を聞く」という意味。

自己主張が人一倍強い自分にはピッタリだと今でも感謝のうちに思う。

だから塾の生徒・ご父兄には不思議に思われているらしいが、クリスマスイヴとクリスマスはchurch service(降誕日)のお祈りために教会に行くのでその時間帯には塾の講習会はないのでご勘弁いただきたい。

あなたは誰かのために...たとえ報われなくとも「生きたい」とは思わないだろうか?

いっさいの報い・報酬を期待しない純粋な「愛」をギリシア語ではAgape(アガペー)と言う。

ただ老いて行く親...心に傷を負ったわが子....を私は見捨てられない。

あなたは結果成果を出せない...この世的な能力の衰えた肉親を。

或いはわが友をその能力の無さのゆえに見捨てられるだろうか?

その「かけがえのない存在」を思っただけで涙する...それが真の愛情ではないか。

そんな思いが僅かでも心にあったのなら、それはアガペーなる神の愛である。

クリスマスの聖歌Adeste Fideles(英語 O Come, All Ye Faithful)を私は今日のクリスマス礼拝でありったけの声歌った。みなさんが私の大きな歌声に驚いていた。

♪ しずのめの..賤しかるをも..いとわで宿る神のみこ ♪
♪ きょう生まれ世にあわられぬ...♪
♪ 来りて拝め...来りて拝め 来りて拝めキリストぞ ♪
( O Come , All Ye Faithful......)

毎年聞くたび歌うたびに魂に響く...ラテン語から英語..各国語に訳されて歌い継がれる名曲だ。

みなさま、クリスマスおめでとうございます。




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