進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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French...あこがれの
2019.11.28
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大學ではとにかく英語に専念した。
余裕のある学友はドイツ語・フランス語...中には中国語や韓国語にまで「手を出す」者もいたけれど、歴史学科の史学科から途中で英文科に転科した自分には時間的な余裕がなかった。
選択の第2外国語も「英語」にして「英語学」「英語史」「発音学」「英文学」「英米事情」「新聞英語」...やらなくてもいいのに「商業英語」や「異文化コミュニケーション」まで身体をこわしてもやった。
そのなかでどうしても手が届かない言語があった.....
それがフランス語。
英語にドイツ語以上の影響を与えてその「語彙」を増やしたのはフランス語だった。
だから中学のころから「アテネ・フランセ」に通って流暢なフランス語を話す東京港区の高松中学の時の同級生の女の子には....そう話しかけることもできなかった。
自分には小さい時から米軍基地周辺で学んだ英語(米語)がすべてだったから、彼女たちが話すフランス語は一言もわからず、随分と委縮していたことを思い出す。
私たち日本人が「英語」を学ぼうと夢中になっているが、Americanでさえ教養のある人間は「ドイツ語・フランス語」はかなりできる。
イギリス人になるとそんなことは当たり前で古典語の「ギリシア語・ラテン語」に通じていることが教養人の第一条件とさえされているのだ。
私は「そんなことがあるものか...」と話には聞いても疑っていたし、心のどこかでは否定したい気持ちが強かった。
ところが...The fact is stranger than the novel.
Ireland大学から日本の愛知大学へ交換教授で赴任しているProf.Cに出会ってしまった。
教授はIreland St.Trinity Collegeの神学部の教授であり、愛知大学へは国際関係学部の交換教授として赴任し学生を指導していた。
教授をProf.C..と呼ぶべきか教会内の職位としてFather C.と呼ぶべきか迷うが、話していてその「ヨーロッパの歴史」「キリスト教の宗教改革のやむを得なかった事情」などについてのFr.C(..と敢えて)の知識と解釈は聞いたこともない斬新なものであった。
...それが私との個人的会話であったことであり、officialなものではなかったことで何の記録媒体にも残っていないことを悔いるのみである。
ただ..その瞬間に思ったことは「英語でわかり、入手した情報」は大切かも知れないが事の本質を探るきっかけに過ぎないことだ....と言う事実だ。
I...myself ....は日本人である。友人や知人..恩人に米軍関係者は多い。宗教的にもAnglican(英国教会)で洗礼を受けている。
そんな中で聞いた...拙くはあったが中2の同級生の女の子が話す...Frenchはショックだった。何より上品だ。英語よりずっと美しく響く...日本語ではカタカナを用いても原語の美しい響きを表記できない。
当時に自営中小企業で建設業の父に言ったところで...
「お前なぁ、皇族が話すようなフランス語なんて勉強して何になるんだ!英語が限界だ!バカめ....!」
くらいなところで終わりだったろう。
言語にも序列があるのか....
そんなことを考えたのは40年前であった。
あの美しい「フランス語」の発音は自分にはムリである。