進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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海図....の話
2019.11.12
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海図は英語で' Chart '(チャート)と言う。
これは語源的にはラテン語の' Charta 'から来ている言葉で「1枚に広げられた紙」の意味である。ラテン語はほとんどすべてのEurope言語に強い影響を与えてきた...祖語とも言うべき「強力な古語」である。
日本は明治に入って以来英国海軍に範を取った。これは当時「七つの海にはためくUnion
Jack」と呼ばれ世界の海に乗り出していた英国を師としたことによる。
イギリスが優れていたのは、多大の犠牲を払いながら「航海術」の練度を増していったこと。「自国が島国であるから貿易によってしか国が生きる道はない」と国王から臣民の一人に至るまで覚悟があったこと...だろう。
そして英国の貿易船の航路の安全のためには「制海権」を持つことが必要だったのだ。
数学の図形証明の3段論法のように.....
その為には強力な海軍力が必要だ。
海軍の艦艇を世界の果てまで派遣するには、海の地図である「海図」が...それも古代や中世につくられた神話のような想像で書かれたものではない本当の意味の実用に足る海図が何が何でも必要だったのだ。
その海図とは「緯度・経度」が正確に測量されたものでなくては「海上での距離と自船位置」がわからない。
Sextant(セクスタント)という言葉をご存じだろうか?
日本語では「六分儀」と訳されているが、何の目標物(物標)がなく陸も見えない遥か沖合の海上では自船位置を正確に知る為に「太陽・星(正確には恒星:Fixed Star)」の位置と角度を測定しなくてはならない。
この気の遠くなるような作業を英国のフネは民間の貿易船も海軍の艦艇も行ったのである。その結果....多くの人命と時間を労して出来上がったのが「海図」Chartである。
日本では戦前まで「海軍省水路部」が日本近海の海図作成を担当していたが、戦後は運輸省の水路部が現在は海上保安庁の海洋情報部がすべての情報を受け継いで最新の「海図」を調整し作製している。
自分が趣味の釣りで行く限界の範囲は「千葉県の房総半島~三重・和歌山県の紀伊半島」だから自室には「東京湾~潮岬」の50万分の1の海図が貼ってある。
さらに伊豆半島の各港の「港湾図」を買った。これは「本」になっているが、港の詳細な海底と水深が記されているから役に立つ。
この「伊豆半島港湾図」には思い入れがある....
まだ船舶操縦免許を取って間もないころ...そう4級の免許だったころだ。
どうしても自分の操縦技量を高めたい、いやそうしなくては海に出て技量不足で死ぬかもしれない...という一種の強迫観念に駆られていたことがあった。
そんなペーパー船長(?)の心理を見透かすようにヤマハから「操船テクニック教室」の案内がtimelyに来た。
塾の予定を変更して休日を作り出し...はるばる出かけたのは愛知県「蒲郡」にある「ラグナマリーナ」だった。
あれから何十年たったのだろう...
実際には小型船舶(宣伝もあったのだろう..フネはヤマハのSRVだった)を使って教習生4人で「強風時の離岸・着岸」「向かい波に対するフネの侵入角度」「アンカーの打ち方・回収の仕方」「魚探・GPS・レーダー・無線マリンVHFの使いかた」を三河湾で実習訓練した。
もう少し沖へ行けば伊良湖水道を抜けて外洋に出られたが、水道付近は伊勢湾カーフェリーと漁船の往来が激しく危険とのことで...針路反転180度で母港へ帰港した。
その時に「何か今日の記念になる」ものはないかな、と考えていてmarinaで目についたのが「伊豆半島:港湾図」(運輸省水路部監修)だった。
Tiny boat of mineも今では魚探+GPSがある。
それでも行く先の漁場pointの大まかな「海底地形」がわかっているのといないのとでは大きな違いがある。
詳細海図の「等深線」が入り組んだところ...急に浅くなったり深くなったりするところにはサカナが寄るから当然に「釣りのpoint」だ。
人より1㎝でも大きいのを...人より1匹でも多くのサカナを釣りたい。
それは釣り人として当然だろう。
でもその一方で昔ながらの「海図」から海の中を思い描いてみるのもまた楽しいではないか。
結果論と成果主義は究極的には人をspoilさせる。