進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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ガマンしないこと.....
2019.11.05
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世の中、ガマンしないことが当たり前になってきた。
「ジッとガマンしているなんて..」
よく平気だね・耐えられない・信じられない..どころか...バカじゃないの!
と考えることが普通のようだ。
考えて見れば昔は...そう半世紀も前の日本はまだまだ皆が平等に貧しかったから大人も子供も、すべてをガマンしたものだ。
だからまだ子供だった私は社会(歴史)の授業で昭和天皇の終戦の詔(みことのり)の録音を聴くたびに「...耐えがたきを耐え....忍び難きを忍び..」という部分が本当だと思ったことを昨日のように思いだす。
親の子供への教育は「ガマンしなさい!」だった。
何かを欲しいと思っても家庭にはそんな余裕はない。現金収入は「子どもの教育・食費」にまわし、わずかの余裕があれば「ひたすら貯蓄」して家族の病気や子供の進学に備えたものだった。
大人には戦後のやっと生きる日々の生活の記憶が鮮明に残っていたから、わが子には「ガマンせよ!」という教育をしたのだろう。
実際に人間は「欲しいものをガマン」「やりたいことをガマン」...これはツライことだ。
ただ、将来に大変な時代がやってきた時に「ガマンできない」なら死ぬより辛く苦しい日々になるだろう....ことは火を見るよりも明らかだ。
即時に経済と物質の豊かさが望めないとしたらならどうするか?
そこを乗り越えるには、人間は生き残るために「精神的な強さ」というか強靭さを身に着けるしかないだろう。
この家庭内の教育は高度成長期から後に急速に日本が豊か(経済的な面で)になった結果、脆くも崩れてきた...令和の今も価値観の崩壊は進行中である。
ウソだとお考えなら、自分の家庭での子供の言動やふるまいを見てみるとよい。
学校でも「ガマンしない・できない」生徒が...ことあるごとに自分の抑えきれない気持ちや心情を声高に叫んでいる。
静かに勉強したい生徒はもうここで「授業に集中できない」というfrustrationをかかえて辛い思いをかかえて毎日登校しているのである。
学校や学年を具体的に挙げれば狭い地域で問題化するので避けるが、この現実に耐えかねて密かに心療内科を受診している生徒もいる。
学校はどちらかと言えば「社会生活を学ぶ」場である。その中で....小中9年間の義務教育があり、延長上には生徒の適正や希望によって高校・高専...さらに大学・大学院の学びがあるわけだ。
実はこの「社会生活を学びつつ」のところに重大な意味がある。
それは教員と自分・先輩と自分・クラスの中での自分...という「集団の中での秩序」を意識・無意識に条件づけられながら「まなぶ」ということの大切さを含んでいる。
さもなければ優れた家庭教師について勉強したり、本人がself-controlが可能なしっかりした人格の持ち主ならば「通信教育」で毎日を自分が決めた時間割で「テキストを読み」「課題に対してのreportを書いて」勉強し、定期的に試験地に出かけて単位修得試験を受験すればよい。
この場合は年間に数日は高校・大学の指定する学校施設で実際に担当科目の教員に指導を受けながら他の生徒・学生と学び単位修得試験を受けて卒業単位にカウントする「スクーリング」がある。
これは高校・大学の場合であるが「集団で学ぶ」こと以外の方法を考えた時、その代替としての方法が如何に大変でほとんど不可能に近い...ということをお分かりいただきたい。
言い換えれば..小中学校・高校で「クラス(日本語なら学級)」で学ぶことが、想像以上に意味と価値があることがわかる。
ワガママの代償は大きい。
好きなことだけは思いきり全身全霊を打ち込んでやる...でもイヤなこと、嫌いなことはやらない...
これだって最近はやりの最大のワガママだと思う。
10年..20年先に行って誰がその結果起きることに責任を取ってくれるのか?
今がよければイイ
自己責任なんだからイイ
いい歳をした大人までこのような人間が加速度的に増加中である。
これが亡国の予兆でなくて何だろうか...