進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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教員免許...
2019.11.01
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一般の方は学校関係者でもない限り馴染みのない言葉だろうと思う。
クルマの免許のように考えればわかりやすい。クルマの免許がなければ日本国内の道路で自動車を運転できない。
教員免許もこれと酷似している「教員免許がなければ日本国内の学校で教えることはできない」と規定されているのである。
ただここで言う「学校」とは公立或いは私立の「小中高校」のことであることを覚えておきたい。そうではないのは何だろう。
塾・予備校・専門学校はどんなに高名でも有名でも....たとえ「...大学へ...高専へ......高校へ合格者~名!!」と豪語したところで、それは学校ではない。
文科省の言う「教えるのに教員免許が必要な学校」ではないのだ。
だから多くのご父兄はご存じないが、大手塾や予備校のお若い先生方はまず「教員免許」を持ってはいない。
法律上の学校ではないなら無免許でも教えられるのである。
驚かれるだろうがこれは事実だ。
もちろん、塾内・予備校内で新任の講師に「生徒を教え指導する技術」を身に着けさせるため研修はある。
それはある意味において「シゴキ」である。なかなか困難を極めるものがある。
就活の面接で室長に凄いことを言われ、質問に答えらえず泣きだす女子大生もいる。
どの会社にも営業目的があるが、大手塾とか予備校には「生徒に学力をつける」「志望校に合格させる」ということが最大にして唯一の目標である。
生徒一人一人との密接な人間関係など..極論だがどうでもよい。
もとより生徒が通っている間に、いかに「多くのオプション講座・授業に参加させるか」「予備校発行の参考書をどれだけ生徒に売るか」...が担当講師の肩にのしかかる。
新聞の折り込み広告はNHKと同じで「ウソ」ではない。
ただ、塾・予備校に入学するための最低必要な学費しか載せていない。厳しい世の中だから、この程度はサギにはあたらないのだろう。
入会して初めてわかりました...という元塾生のお母さんからの情報だから確かだと思う。
私立高校並みに学費がかかったそうである。
テスト前対策・学調テスト対策・成績逆転セミナー・夏期講習・冬期講習・春期対策・入試直前対策....よくもまあ、これだけ思いつくなぁ...と感心する。
経済学で言う「需要と供給のバランス」なのか。
それぞれの先生が何人の新入生を獲得できたか?(担当講師の営業成績)
何人の生徒が目指す高校・大学に合格できたか?(塾・予備校の広告宣伝)
それだけの「数字」だけがモノを言う世界と聞いている。
成果主義が大好きな人間で「本当に学歴に見合う学力がある」人には向いている世界だ。
何かバブルの頃の不動産業界みたいでイヤだな。
1円でも「高く+早く」売った会社の勝ちだったからなぁ...アダム・スミスのいう「神の御手」が経済に介入して適正な均衡価格を作り出すという西欧経済学の調整システムは機能しなかった...
「結果・成果をだしたか?」「利益をあげたか?」だけが目標の社会全体をも巻き込んだ流れがどれほど今にまでその後遺症を残しているか..火を見るよりも明らかだ。
それは人の生きざまだけでなく、何を基準にどう生きるか...という日本人の価値観さえも変えてしまった。「勝ち組..負け組」なんていうバカげた言葉が流行ったのもこのころだった。
「広く生徒全般の人格の陶冶を目的とし...」と言う明治以来の日本を支えてきた学校制度の根幹をなす教員免許の世界とは目的とする「範囲」がまるで違う。
土俵が違うんだ..ともいえるだろう。
一方で公立の小中学校が荒れ...結果として高校が「高卒」という学歴をつけるだけのような場を脱却できない状態が続いているなかで、真面目で一途に勉強したい生徒がかなり高額の学費を支払って大手塾・予備校に通う。
「公教育の補完」としての意味が強いことも必要な現実である。
善悪の問題では決してない。
最早「道徳論」で解決できる段階ではない...
国の言う「小中高校」の学びは...この範囲も難しいが「日本の平和憲法に合致する善良な
日本人としての一般教育を施すものである。
..と言うと「善良とはなにか、国に都合がイイということか?」と必ず追及してくるのは誰か?事実、今の日本には存在する具体的な力だ.....本当に困る。
批判やclaimだけですべてが解決するなら...簡単だ。私もそうしたい。
要するに教員免許は「日本国内での学校における授業」を許す。
その効力を持つ免許の「効力と価値」を日本国が保証する....という意味がある。
教員免許には1種と2種がある。
1種は4年制の大学卒で「学士」を持ち教職課程を取り教育実習をクリアしたものに....
2種は2年制の短大で「準学士」を取得し同じく教職課程を取ったものに与えられる。
このほかに大学院の修士・博士課程の修了者で教職課程を取った場合には「専修免許」という特殊な教員免許が与えられる。
もう一つ説明が必要と思うことがある。
それは中学校や高校で授業を担当している先生と呼ばれる学校教員には「講師」と「教師」が混在していることをご存じだろうか。
....というのも、塾の保護者のあいだで「A先生は教師だけどB先生はまだ講師だからね..」なんて言う会話がされるのを頻繁に聞くからだ。
講師の先生方の名誉のために言いたい...
講師も教師も同じ「教員免許」を持っている。
国が「学歴・教職課程の全教科に合格したか・教育実習も合格したか(これは出身大学の単位であるから)」を精査して初めて授与する厳格な免許なのだ。
講師も教師もこの点について「上下」関係はまったくない。
むしろ講師の中には宝物のような先生もいる。
彼女は高校教員だったが「どうしても英米の大学で学びなおしたい」と真剣に考えた。
編入のため2年間の休職を希望したが認められず、やむなく退職してアメリカの大学へ入学してアメリカのB.A.を得て卒業...帰国した。
同じ公立高校へ復職したが「講師」扱いの勤務になった。私はかつて地元の県立高校で教えた経験のなかで、その先生と知り合った。
英語の発音と言い、英語的な発想への理解...それが「進学+受験の英語バリバリ」で採用試験に合格して来た若い英語教員との埋めがたい溝(みぞ)にもなったようだ。
早口で話す若い教員の英語は日本人にありがちな「カタカナ英語」だった.....
言葉はそれを話す人間の感情と心をも伝える。
あのお若い先生は大学で「異文化間コミュニケーション」の単位を取らなかったのかな?
今でも思い出すが、どうしてあんなに不機嫌そうに...なかば怒ってでもいるように英語を話していたんだろう?
「針の筵(むしろ)」のような英語だった..聞いていると逃げ出したいと思うような。
当然のこと、生徒は苦学しても自分の求める勉強をした講師の先生を信頼していた。
だから、この拙いブログをお読みの方々にお願いしたい。
講師には教員免許はあるが将来「教員」として採用試験に合格したいと希望をもって現場の学校で授業を受け持ち働いている場合があり、もう一方で前述のような海外の大学へ勉学のために一度退職して...復職している講師の先生がいるのである。
これは言ってよいのか...と思いつつ。
子どもの勉強に強い関心を持っているうちに、進学や受験の情報を中学や高校の進路指導の教員なみに詳しくなるご父兄が増えてきた。
その知識と熱意をここで終わらせてしまうのはあまりにもったいない。
是非にも「社会人大学生」として勉強しなおして、今度は自分が教員免許を取得して小中高校の先生になられてはいかがだろう...?
それは不可能ではない。
参考までにアメリカやイギリスで50~70歳の子育てを終えた。或いは会社を定年退職した社会人で、母校や他大学へ再入学して学んでいる高齢者は信じがたいほど多い。
そこではhigh schoolから入学してきた自分の子どもと同じ年代の学生と机を並べて仲良く学んでいる...むしろ社会経験の豊富なことから、教員からも信頼され貴重な実体験からのreportは現役の学生に机上の空論ではない現実の重さを教えてくれる宝物同様に扱われている。
欧米の高齢者でホームに入っていない人たちは、大学で学んでいるか...さもなければ所蔵教会のbazaarを担当して明るい毎日を送っている。
人から感謝され...自分で満足できる人生を送っている姿を見ると、ああ...これが自分の理想かな...と思う。
もし体力や経済を定年以降に維持できても精神的に崩壊したらどうするのか?
「崩壊などしていない!」って.....?
そう自信を持って言い切る60代~80代の先輩諸兄をどれだけ多く見てきたことか。
自覚症状があるわけはない。
これがわからない状態........それがもう普通ではないのだ。
それは周囲の他者が判断すること、或いは心療内科で専門医の診察を受けて初めてわかることなのだ...自分は(あなたは)最後まで否定する。頑強に否定するだろう。
否定したい気持ちは同じ年代の私にはよくよくわかる....が。
年々..老齢化して行く社会のなかで「お金は貯めた」ことで満足する人間は多いのではないか?
「お金」か...ないよりはあった方がいいだろうけれど。
でも一方で、心貧しく..悲しい毎日をどれだけ多くの人間が送っていることだろう。
何らかの利益のつながりがある人間しか近づいて来ない...
或いは「物質・現金・情報」の有益なモノを釣りのコマセのように撒き続けてようやく相手とのコミュニケーションを維持している。
あなたの周囲を見回していただきたい...救いようもなく寂しい悲しい..でも裕福な老齢者はないだろうか?
多くを学び学歴を重ねている人間はますます謙虚になって行く。
「稲は実るほど..穂を垂れる」という言葉を思い出す。
人生は1度限りだ。
あなたがもし「高校卒」なら比較的容易な産業能率大学でまずネックとなる一般教養をこなして「短大卒」になり、次には4年制大学へ「編入」する手がある。
あなたが4年制の大卒で既に「学士」をお持ちならなお簡単である。
これは大変だが地方にいても通信教育課程で可能だ。
都市部にお住まいなら大学の2部(夜間)への入学も可能だ。
どちらも、それなりに大変だが...
そうして数年後に教壇に立っている実例がいくつもある。
勇気と決断...自分にウソをつかない努力。
それらがあって、初めて納得のいく人生を過ごせるのではあるまいか。