進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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クルマ...とは
2019.10.29
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クルマって何だろう....
' car...automobile..' フランス語やドイツ語なら..' wagon 'かな。
今の若い世代では、特に都会やその近郊に住む人間はあまり「クルマ」に関心がないようだ。いや...ないというのも乱暴な言い方だ。
維持費がバカにならないのだ。
現在は値下がりしたと聞くが、かつてのバブルのころ東京港区の高輪で「月ぎめ駐車料金」に限って言うと8万円だった。簡単に言うがその金額は地方での1ヵ月パートで働いた収入を越えている。
あとクルマには「自賠責(強制保険)+任意保険・12ヶ月法定点検+2年ごとの車検・ガソリン等の燃料費・有料道路の通行料」などがかかる。
彼らはここでも「コスパ」を考えるらしい...コスパもここでは理解できるなぁ....
まず都市とその近郊ではマンション・アパートの不動産賃貸料が高すぎる。
反面、給与は物価にスライドしてreal-timeでは上昇しない。
必ずタイムラグがある。
固定的な家賃支出が重たくのしかかる都会ではクルマにお金を使う余裕がないのである。
伊豆のような「地方」ではどうか?
結論から言うと「家族の人数分のクルマ」がほぼどの家庭にもあるのが普通。これは電車がない沖縄と同じである。
もともとの伊豆の住人でオジイサンの代から三代にわたって住んでいる...なんていう場合には、土地や家の管理をできるだけ自分でしなければならず....必然的に「軽トラ」が加わる。
また本題から外れて行ってしまう...失礼して閉話休題。
自分がまだ結婚前の20代のころは「クルマ全盛」の時代だった。メーカーの作るクルマもとにかく生産して売りながら「市場からの声」「ユーザーからのクレーム」を吸い上げつつ....新型車の設計に取り入れるという考え方であった。
実例で覚えているのが「加速してからアクセルを離しているのにまだ加速して行く..」クルマとか「エンジンブレーキの効きが極端に悪く、その分フットブレーキを踏みっぱなしになるのでフロントのディスクブレーキパッドが3か月で交換..」なんていう実例もあった。
今では信じらえない故障や不具合が...そう外出、それも遠出ではよくおこった。
だから当時の走行性能もspecもイマイチのクルマを乗りこなし、日光や長野の山奥で故障しても「翌朝の出勤までに帰宅できるよう」意地でも応急修理するメカの現場技術を身に着けたものだ。あの頃はクルマの「運転の技術+整備の腕」の両方を持っていないと誰も友達扱いしてはくれなかった。
ようやく「その域」までたどりつくと....当時のスカGに乗ったオジサンたちが声をかけてくれるようになったものだ。
このころのスカG(スカイラインGT)のオジサンたちとは、ほとんどが大小は関係なく会社の社長とか...電気・無線・エンジンに詳しいメカニック、或いは引退した元パイロットなどの独特の人種だったことを思い出す。
だから、何処かの高速SA.で「ハコスカ」のサングラスのオジサンと二言三言話せただけでもやたらに嬉しく名誉に思ったものだ。
あの頃の「クルマキチ」は...休みの日にはほぼ丸1日...garageや駐車場でクルマいじりをしていたものだ。
メインテナンスフリーの今どきのクルマと違い「エンジンオイル」「スパークプラグ」を替え「エアクリーナー」を丹念に掃除すると断然走りがちがった。
まだエンジンの燃料系は「燃料噴射仕様」になるまえだから「キャブレター」だった。
今も「小馬力船外機」「草刈り機」「ヘッジトリマー」などは構造の簡単なキャブレター仕様だ。
昔のクルマはエンジンを温めておいてキャブレターを分解すると..ひどい汚れだ。
キャブクリーナスプレーをたっぷりかけて15分くらい放置すると。キャブの固着した汚れが浮いて来る。これを完全にふき取ってやるとアルミの新品の地肌が出る。
ここまでやると「クルマの走り」はもう断然違って来る。
まだPCもNetもない時代だ。
先輩に教えてもらい、自分のクルマのサービスマニュアル(整備書)をメーカーから取り寄せては素人ができる限界まで...パーツを注文し交換して整備したものだ。
そうして自分でできる限りの整備・調整したクルマは...そうもはや自分の分身だ!
快調のクルマで飛ばす西湘バイパス...江の島、逆コースは箱根へのドライブは最高だった。
江の島で見る夜明けの美しさ.....箱根の湖尻から見る真っ赤に染まる夕日の富士は荘厳そのものだった。
そのための...Toolがクルマだった。
遥か昔の青春の1ページである。
オレも若かったなぁ。
西湘には「珊瑚礁」がまだ存在していて満席だったことには驚いた。今では予約制なのかな?