進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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サポート校..って?
2019.10.01
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昨日はごく近しい人から頼まれ、勧められてサポート校を初めて見学。今まで大きな英語専門学校と自営になってからは地方の学習塾しか知らなかったから非常に勉強になった。
......というのも、私の父が経営する会社が消えてなくなった14歳のあとは親のコネもカネもなくなり...素裸の状態で東京にいたからあの頃の自分には勉強するしかなかった。
まだまだ学問なんて言えるものではない。ガムシャラにすべてを忘れてのめりこむように勉強した。
もう結果なんてどうでもイイ。自分にできるのはこれしかない....
だから少しくらい勉強ができたってあたりまえだったろう。
友人は家族を大事にし、友達関係の付き合いもとても大切にしていた。学生の時間をスキーや海外旅行で大いに満喫していたものだ。当時の私にはHawaiiもどうでもよかった。
あのころの私は家庭教師の給与を学費にあてていたから、経済にも時間にも「ゆとり」などなかった。
受け持ったのは実名は申し上げられないが...大企業のご令嬢とかご子息。中には大戦中の軍の上級将校の孫..という場合もあった。
何でそんな高貴な方々の子息やご令嬢の家庭教師の話が来たのか...いまだにわからない。
懐かしく思いだせば、今の自分には絶対にできないことばかりだ。
まるで明治時代の高等文官試験を受けるために政治家の家に寄宿する「書生」のような大学時代だった。
結果は予想だにしなかったがその年の卒業生の中の首席で優等賞をいただいた。
でも、それからがイケない....
英語専門学校で生徒を教えていた時も、後年になり自分の塾で教え始めてからも...実を言えば私の指導法には問題があった...と反省している。
それは「精神一到何事か成らざらん」というもの。
人間努力すれば何事も成就する.....の意味なのだが。
法令解釈ではないが反対解釈すれば「できないのはあなたの努力不足だ!」「そのままでは何もできずに終わる!」という暗く絶望的に読めるのである。
若いころの私は...そう30代半ばくらいまでだろうか、私は常に生徒を𠮟咤激励していた。生徒からすれば実に「イヤな先生」だったろう。
毎日の早朝に起きては、その日の午後に教える教材を厳選して整える。生徒一人一人の顔を思い浮かべながら「指導法」をメモ書きして準備していた。
まあ...のちに県立の高校で英語を教えた時には役立った「公立の進学校」には歓迎される教え方だ。
根本にあるのは「教員がよく教材を吟味し研究して授業準備をする。その内容を全身全霊をもって生徒に授業で伝える」という考え方であった。
「よいものを教員がよく伝える」→「よい(優秀な)生徒が育つ」
...という明治以来の日本の教育界の伝統のように受け継がれている「信条」なのである。
いや、私は教員の一人としてこれを否定しない。
むしろ、その通りであるとも考える。
では何故いまの日本では、この最高度に練り上げられた高校生や大学生ではない...others
(その他)が加速度的に増えて行くのか。
過去の私はこの事実に目をつぶって来た.....ゴメンナサイと今言いたい。
日本は経済的に豊かになる過程で...誰も言わないが「取捨選択」してきたものがあるのではないか。取捨選択が言い過ぎならば「より優先」して顧みなかった何かがあるのではないか...?
様々な事情で小中学校の学力が身についていない「若者」が如何に多いことか、に私は今回サポート校訪問で気がついた。
その多くは、親の事情や都合による。
世の中には幸運から外れてしまった人もいる....離婚し会社からは解雇され、転居を重ねる家庭もあるのだという事実を私は知った。
そんな環境で子供たち...小中高校生が学力をつけて行けたら奇跡だ。
子供たちは本当に苦しんでいる。
自分の将来...未来がどうなるのか?
こんなに心配と苦労をかけている親に...どうやって報いればいいのか?
昨日、垣間見た「サポート校」はそういった生徒の受け入れ先のように思えた。
サポート校は単位高校の生徒が「どうやったら単位が取れるのか?」を時間内に指導する...そういう存在だそうである。
いまや「高卒」であること....それは日本の当然すぎる「常識」のように言われる。
しかし、その一方で必死に...それこそ深夜のコンビニで働きながら「高卒」になろうとしている若者がいることを私は初めて切実に知った。
社会は優秀な人間ばかりでは成り立たない。
どんなに優秀でもその「代わり」はいる。彼(彼女)はもっと「優秀」かも知れない。
あなたの...私の...子供の....ただ一度の人生を「そのため」に捧げてよいものか?
私はあの親鸞のような熱烈な仏教徒ではないけれど「救われない人ほど救いが必要だ!」という信教にはキリスト教に似た「慈愛」を思う。
我が子が「苦境」に陥っていたらあなたはどう思うだろうか...どうするだろうか?
理想論では現実の苦しみにある若者たちを救えない。
神はすべての人に「雨」を恵む.....
50年を要した..私がこの一言を自分なりに理解するために。