進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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クルマ...沖縄と内地で?
2019.09.29
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クルマは今の日本の各家庭に何台くらいあるのか....
日本語的な発想から、ほど遠い表現で言うならば...
まずこの「設問には意味がない」
次に地域的な条件を考えないので「無謀な問い」である。
究極的には..その設問が
「自分や自分の家庭に具体的な何か影響を持つものなのか...?」
これは平均的なアメリカ人の持つ「設問への疑問?」である。
言葉にせずとも彼らはいつもこんなことを考えている。
仕方ない。
言語・歴史・伝統・慣習・宗教への寛容さ..すべてが違うんだから。
まあ、それはいいとして国内問題として考察してみたい。
まず、喫緊の問題としてだが「伊豆の住人は1人1台」が実情であろう...伊豆は海岸から半島の背骨のように存在する天城・箱根があって平地が極めて少ない。
人間が移動するのにこんなに大変な地方は少ないのではないか。
加えてであるが、鉄道は伊東までがJR.伊東線。伊東から下田までは大赤字の(失礼....)私鉄伊豆急だ。
東海岸(東伊豆)はまだイイ。沼津~大瀬崎~松崎~下田の西海岸(西伊豆)などどうなるのだ!JR.も私鉄もとにかく「鉄道」は皆無である。
その分をバス(伊豆のこの地域では東海バス)で補うと言っているのだが問題はその本数だ。「通勤・通学時」は30分に1本。ズレたらたいへんだ「1時間...凄い時は2時間に1本」が普通になる。
バスはいつ来るの...?
この伊豆の僻地の「公共交通機関」serviceのツラさは、同じ伊豆でも沼津や三島という都市部(?)にお住いの人にはまずわからないだろう。
....となると、残りの選択肢はマイカーになる。
この事情は沖縄に酷似している。それは悲しいまでに....
沖縄には昭和20年6月の米軍上陸に際しての砲爆撃で壊滅するまで「那覇から名護」までの県営鉄道が存在した。路線の名称は失念...ごめんなさい。
戦後の米軍統治のもと「沖縄の交通機関はクルマを主体とし、そのために米国は道路整備に力を注ぐ」こととしたのであった。
従って今でも沖縄にはJR.も私鉄もない。那覇空港からモノレールが出ているが「アッというまに」終着の「赤嶺駅」に着いてしまう。
沖縄では各家庭の成人家族人数=クルマの数である。
沖縄高速バス...もあるが、これが沖縄唯一の自動車専用道路の「沖縄道」に乗ったかと思うと...I.C.のたびにETC.で一般道へ一瞬降りては「バス停のお客」をpick-upする。
...だから那覇から北部の名護までrent-a-carで飛ばせば50分で着くところ「2時間30分」かかる。私は初回だけ不安だったから利用したが...「ウワーッ!」というしかない驚愕の世界だった。もう寝ているしかなかった。
本土(内地...ナイチャー)の時間感覚で育った人間なら、気がヘンになりそうだ。
ならない方がオカシイ。
だから、なのだろうか?
沖縄の家にはたくさんクルマが置いてある。家族人数分の台数だ...
でも、クルマはキホンすべて「軽」だ。包み隠さず言うと沖縄の平均県民所得は本土の2分の1。その現実のなかで家族のため+自分の学業・仕事のため...と考えると「軽自動車」それも、できれば程度の良いused-car(中古)を...ということになる。
因みに沖縄は海に常に近いから「台風による強風の塩害」が深刻だ。軽自動車の中古を買うにしても、台風通過のたびに丁寧に水道水をかけて「海水のspray」を落としていたかそれを怠ったか...で車両価格はひとケタ違って来る。
軽自動車を買う時に「車齢」「車体のキズ」よりも...クルマの下にもぐりこんで「海水による腐食」の程度を見る沖縄の人の姿は本土人(内地の人間:ナイチャー)には到底理解は難しいだろう。
一度、おすすめの観光ルートではない「旅」をおすすめしたい。
「沖縄の観光ルート」....あれはウソだ。
いや..言い過ぎなら訂正しよう「観光用」と「沖縄の現実」は違う!
真実の沖縄の大変さを...数年間を息子の大学と居住を通じて知った私は敢えてお願いしたいと考える....
沖縄の戦後74年間は「クルマ」にしか頼れず「自己責任」と「自己救済」の時間だった事実を知って頂きたい。
本土の東京にある日本政府よりも直接に関係する米軍のほうがより日々の現実に対処してくれた...そんな信じがたい歴史が沖縄にはある。
沖縄の人...They call themselves ' Uchi- Nannchu(ウチナンチュウ)'には「鉄道」とか「電車」というimageはまったくない。
ここに於いて「ああ....仲間だ!」という認識を私は新たにせざるを得ない。
伊豆も同じです.....子供の通学にクルマで送り、年老いた親を病院の診察のため送迎している...やがて自分がそうしてもらえることの「確たる」保障もないが....
明日もまた実家の老母を病院に連れて行く....
公共の支援も公共交通機関もあったものではない。
鎌倉時代からこのかた...僻地とされた「地」に住む住人は....老父老母の病院送迎に頼りになる唯一の交通手段は「自己の所有するクルマ」しかないのが現状だ。
今..計算したら「827年」が経過している。
これだけの時間を尽しても....「流人の地」「蝦夷の地」は名誉を回復できないのであろうか?......
孝行をしたいときには親はなし...
とはよく言ったものだ。
「わが子を育て...後輩+後に続く人間を育て」てから...いなくなりたいものだ。
一線をひいたあとは沖縄で余生を送りたい。
ニライカナイだ。