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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

ワタシとコンビニ....

2019.09.03

私がまだ20代の頃だったかな。とにかく伊東に初めてセブンイレブンができて本当に深夜・早朝には便利になったことを覚えている。急に必要な買い物とか期限の迫った支払いなどどれほど助かったかわからない。

その後がそれこそ「雨後の竹の子」のようにドンドンとコンビニの出店が続いた。覚えているだけでも...以下は記憶の時系列に沿って「セブンイレブン・ローソン・ファミリーマート・ampm・サークルK...」と加速度的に増えた。

こうなると、もう普通の(?)店に行く方が少なくなり若者にいたってはコンビニに行く方がなにか「カッコイイ」とさえ思うようになった。今は誰もが「どうでもイイ」と思うようになった。

自分が高校(伊高)を出たらサアどうしよう..と、あの青春に特有の「希望と混沌」の迷いにあった時だった。

もと小型機のpilotでその頃には電気店「ニシカワ電器」を経営していた伯父から凄い話が来た。「オレもそろそろ歳だ。東京のビルの1Fの店を引き払って長野で暮らそうと思う」

「ついては、相談だ。店には今セブンイレブンがテナントで入りたがっているんだが、オマエ店長をやらないか。月収は70万円手取りだ。その代わり親が死んだ時くらいしか休みはないゾ!」

ウワッ....70万円か。(いまなら軽く100万円超)

でもでも若いころの自分には極めて見たいものが3つあった。

英語・歴史・法律の3つだ。

伯父を怒らせないように丁寧に断った....

伯父「人間、若いころはそう言うよ。でもな、夢や理想じゃ食えないぞ!あと10年20年してみろ、カネ・カネの世界になるぞ..イイんだな!」

こうなるともう「脅迫」「脅し」である。それでもなお断った。

「そうか、オマエを見込んでオレなりにイイ話を持っていったつもりだったが、そうならもうイイ」「夢や理想で食えると思うならやってみろ...バカだなぁ...オマエは」

という訳で、大学ではまず史学(歴史学科)次いで英文科。専門学校では法律系の国家資格を3つ取った。何かのために今風にいうなら「保険」で高校までの教員免許(第1種)を取った。大学の時に本来の史学・英文の勉強意外に教職課程を学ぶのはきつかったが...

その3つで本当に生きてきた....

伯父の言う通り「霞(かすみ)を食って生きてはいけないぞ!」という現実を今まで生きて来たんだから仕方がない。

「人はパンのみにて生きるにあらず...」と新約聖書で主イエスはいみじくも言われたが、現実この世は神の国にはアラズ。

私は決してマルクス・レーニンの流れにいる人間ではないけれど、まずこの世で生きるため「パン」を得るために学び、技能・技術と学識を身に着けないと「自分」「家族」は飢えることになる。

これは伯父の言う「人間のminimumの義務」であろう。

そのあと「霞を食べる」か「パンを追い求める」か...これは憲法で言う「価値観の自由選択」の世界であろう。

だから、私は伯父にはただの1円でも援助をお願いしなかった。

伯父は臨終の床にあったときにも「一喜、遠くからありがとう。帰りにこれでガソリン満タンにして行け」と弱弱しい声で言うと、枕の下から伯父の契約ガソリンスタンドのカードを手探りで差し出した。

「伯父さん...ありがとう」「でもね...お陰で長野までのガソリン代くらい大丈夫だよ」

伯父は胃がんで何も食べられずやせ細った手で甥の手を握り締めた....

「オマエとも長い付き合いだったなぁ..」
「オマエは周りに気をつかいすぎだ。思うことを思い切りやれ!人生一度きりだゾ..」

....それが大戦中に大陸で三菱商事社員として軍の物資買い付けに奔走し「八路軍」「共産軍」の両方から命を狙われた....でも自分なりの若き日の理想を追い求めた伯父の最後の言葉だった。

因みに、この西川の伯父は優秀だった長兄が若くして夭折したあと実質上、ニシカワの家を背負う立場にあった。

中国からの復員後は進駐軍(アメリカ軍)といろいろあったらしいが、専門外なのに自学で電気工事士とか電検の資格を取って「三菱・ニシカワ電気」の会社を興した。

その会社の売り上げ利益を「固定翼操縦免許」....小型機のpilotになるために注ぎ込んだのであった。

英語さえできれば進駐軍との関係から、アメリカ本土の飛行学校で...それも格安で飛行免許が取れたであろうが、伯父は中国語(北京官話)はうまかったが英語は勉強していなかったから仕方ない。

気も遠くなるような日本円をつぎ込んでは「調布飛行場(調布基地)」に日本人教習生として通った。それこそ意地だったようだ。

家が何軒も建つくらいの費用と伯父自身のガンバリで「小型機の飛行免許」を辛くも伯父は取得した。

ここが大事だ....このときに伯父はすでに50代~60歳代だったはず。

もうあまり「活躍の時間」がない中で、しかも今風の「コスパ」で考えたら圧倒的に「やめる」結果しかない状況だ。

にもかかわらず、伯父は残り少なくなった人生に全力投球している。

オジサン....話が違うよ!

もう還暦を迎えて本当なら「会社、地域社会」から独立して悠々自適の年代にだ。

伯父も現実の社会の中で一生懸命に自分の納得できる「人生」を追い求めたのであろう。

だから伯父を見習って、その甥である自分も船舶操縦免許を取った。人生、何があるかわからない....わからないからこそ面白い。

伯父さん、ありがとう!











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