進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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安重根...記念館
2019.08.28
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安重根は朝鮮語の発音では「アン・ジュ(ジュン)クン」と読む。
今になって日本と韓国の関係がギクシャクしているが、それはもう明治時代から続いているので今更驚くにはあたらない。
韓国には歴史上2人の英雄・救国の義士がいる。
秀吉の朝鮮遠征軍を破った「李舜臣」と朝鮮統監の伊藤博文を暗殺した「安重根」の2人である。韓国人(...という表記にも問題アリ。当時は李王朝の韓帝国があり、北も南も分断されていなかったから表現に苦しむ)にはこの2人が一命を賭して....伝えたかったのは愛国心だった。それもまったく混じりけのない.....
思うに、日露戦争は朝鮮半島の支配権をかけた両国の戦争であったが、韓国人(...いや朝鮮人だろうか?)にとっては、日本が勝ってもロシアが勝っても....結果は同じ。
どちらかの国の「属国になる」ことを意味していた。
日本だって昭和20(1945)年の終戦以来どれほどの苦渋を忍んで来たかわからない。敗戦国の日本はアメリカの属国となったことを自覚すらしていないではないか....
憂国の志士...安重根は祖国が大国の属国になることを意識した。
それは「意識できた」と言った方がいいだろう。
彼は当時の李氏朝鮮の王族ではない...かと言って当時の平民である「白丁(パクチョン)」でもない。
朝鮮の王室には国王を補佐するために高級貴族が存在した。
貴族は両班(ヤンバン)と呼ばれる武班と文班に分かれている世襲であった。
日本でもかつての平家が「平氏にあらざれば人にあらず」と言ったように朝鮮でも両班の家に生まれなければ白丁(パクチョン:奴隷)の身分のまま一生を終えたのだった。
安重根は幸か不幸か両班(文班)の家に生まれた。父親は科挙に合格した「進士」であったくらい文官の誉れ高い家柄であった。
彼の論理によれば「祖国が大国の属国になるのは最大の不幸だ。国王の臣下の両班に生まれたからには国の窮地を救わなければならない。日本の植民地になった今、朝鮮統監たる伊藤博文を誅することこそ忠義である...」となった。
....その結果、朝鮮北部の「哈爾濱(ハルピン)駅」で出迎えの群衆に混じった安重根は
伊藤博文に接近。7連発自動拳銃の全弾を撃った。
当時、ロシアは日露戦争の結果この付近の領土を失うが、鉄道についての権益は依然保有していたので駅はロシア官憲によって警備されていた。
伊東は重症...だったが数時間後に死亡。
この一連の事件は歴史上の事実である。
しかし、同じ事実であっても受ける側で随分違うものだ....
韓国.....「救国の英雄」
日本側...「暗殺者」
何事も現場での実体験ほど確信を得られる物はない。
私は従軍慰安婦の話が出て間もないころ....そう今から25年くらい前に初めて韓国へ行った。まだ、それほど反日に嵐が吹き荒れていない韓国だった。
日本側の代表団ということであったから、完全武装の韓国陸軍の小隊に護衛されて最北部海岸にある「江華島聖公会」の教会に行き、韓国人の司祭さまと英語で歓談した記憶。
その翌日にはソウルに戻り、旅程にある「安重根記念館」を訪問することになった。
「等身大の韓国人女性に襲い掛かる日本兵」「老若男女を問わず殺傷して焼き殺す日本陸軍」「韓国人キリスト教徒を教会の聖堂内に閉じ込めて放火...焼き殺す日本軍」ETC.
もう....これでもか...これでもかの連続だった。
イヤーな気持ちでいるところへ「幼小中高」の社会科見学が途切れなくやって来る。
可愛い保育園の子供などまるでangelだ....日本の子供とどこが違うのか?
ところが...である。
安重根記念館に社会科見学?で来訪した「韓国保育園児」の場合は違った。
保育園の保母さんは...大きく手を広げて「園児」と私たちとの私に入った!
保母さんが園児に何か言っている。
かまわないから訳してくださいと言ったら...「あそこにいるのは日本人だから気を付けなさい。近づいてはいけません」と先生は園児に言っているそうだった。
オイオイ、価値観を刷り込まないで欲しいな!
因みに...この時に私は至近にいた園児に「ニッコリ」したら...泣きながら逃げられた。
I was shocked......
日本では「安重根の伊藤博文暗殺」のことばかり。
韓国では「安重根は救国の英雄だ」ばかりだ。
同じ人物であるのにここまで評価が異なるのは現地へ行って見て初めて分かる。
その新鮮な「驚き」こそが大事ではないか。
韓国人も日本へ旅行でやって来ては、治安の良さと清潔さに驚いて帰って行く。
日本人のわれわれも、問題のあるmediaが伝える情報を鵜呑みにしていると、biasのかかった目で韓国を見ることになり....やがては「日本が加害者で韓国は被害者」というstereotypeなものの見方しかできないようになってしまう。
自分の学びと時間をかけて積み上げた経験で物事を判断できるようになりたいものだ。
因みに自分も長い間「韓国が被害者」という偏見でしか見ていなかったことに気が付いた一人だ....
前回、訪韓のおりにソウルの日本大使館前で激高した群衆のデモが...あの時は小泉首相だったが...首相の大きく引き伸ばした写真を皆でまず踏みにじっては雄たけびを上げる。
次にライターで日の丸を焼いて歓声を上げているのを見てしまった。
個人的には小泉首相はあまり好きではなかったけれど、あの時に感じたのは「イヤあ、あれじゃいくらなんでも小泉が可哀そうだな..」という一個人としての哀れみであった。
我々がもし日本で韓国首相の写真を踏みにじり、韓国国旗を焼いてデモ行進したらどうなるだろうか?
国際司法裁判所への提訴、国交断絶、宣戦布告...となるやも知れない。
....日本がしないことを韓国はしてきた。
今の緊迫し険悪化した日韓の情勢の根本というか、先行して存在する基本的な認識のズレがすべての原因である。
ただ、思うに...その責任を若者に負わせてもいいのか...?ということだ。
昭和生まれの我々の世代が、イヤそれでも更に親の世代の「韓国併合」から敗戦の昭和20(1945)年までの朝鮮統治の責任を問われても背負いきれない。
それ以上に何も知らぬ若者たちに歴史の責任を負わせ+現状に対処しろ...とはとても言えないだろう。
かつての植民地時代の...そう「フランスとインドシナ(ベトナム)」の関係を学ぶあたりが参考になるかも知れない。
私には在日韓国人の友人もいる。
大学時代に教員資格を得るための教職科目では韓国人(韓国籍)の先生について「教職論」の科目を学んだ。
心から感謝している。
問題は「問題を問題と」正しく認識しているか...に尽きる。