進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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またか...スミマセヌ。
2019.09.10
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実は昨日からまる2日かけて書いていた「特攻」についてのブログがまた...消えた。
消えた....と言うのは、大学の電気電子専攻の次男が「どう考えても消えるはずがない」というのに「ブログを書き始めた」こと自体が消えてしまうのだから困る。
西川のご先祖・イ号潜水艦で戦死した大叔父・海軍水上艦艇だった親父...が許してくれる範囲でしか書けないんだから。
なんということはないが....微妙な部分になる気をつけていても瞬時に「消える!」のである。
これは親父や西川のご先祖の「お墓参り」を十分に心を込めてしないことには進展はない。
酷暑とか熱中症...なんて言わずに来年こそお墓参りをして「ご先祖の供養」を立派に果たしたい...自分自身はキリスト教徒だが、親とご先祖に対する崇敬の気持ちは同じである。
東京の麻布「天現寺」。
鎌倉時代に宋から伝わり開山したお寺。
江戸時代にはあの松尾芭蕉が...「奥の細道」を出発点としたお寺。
祖父が先代の住職と友人だっただけではない...
何故かよくわからないが、天現寺にお墓参りをすませると.....
「心がスーッと軽くなる」のを感じるのである。
これは自分が...他宗教' Church of England 'の信徒となっても同じだから、不思議でありありがたいことである。
平安時代の末の平家と源氏の最終決戦「壇ノ浦」の戦いがあったが、瞬時に平家が全滅...滅びたわけではなかった。
平家に仕えていた....地方の国司・吏員は鎌倉以後はどうしたのか...?
それは2つ別れて鎌倉の追及を逃れて「九州の奥地:椎葉の里」と「紀伊・房州の外房」に落ち延びた....そうである。あくまでも伝聞であるが。
だから、紀伊半島の南端あたり...とか千葉県外房の勝浦に実際自分の目で「西川...」という苗字・屋号を見るたびに「ハッ!」とするのである。
「西川造船」「西川運輸」...って何だ?
外房の勝浦や御宿には「西川」がつく家や会社が多い。
何故か瞬時にたまらない親近感が湧いてくる。
もう500年近く経った話であるからどうでもいいのかな.....
そう言ったら伯父に叱られた。「オマエはあの頼朝のバカが好きなのか?」
今の自分がどうなのか...それだけが大切なのだろう。
こういう先祖や親に自分がつながっていることに感謝したい。
PS:平家の話はいまだに確認されず。